kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

傷になる出来事ということは、自分が誰かから傷つけられた事例にだけにとどまらず、若気の至りでやってしまった失敗による傷もある。

そう言う、自業自得の傷に向き合って生きるのは意味のある事なんだと思うが、人間って自分の失敗にはなかなか向き合えないものだ。

今のニュースを見ていると、スポーツ界のパワハラ問題にせよ、モリカケ問題にせよ、開き直って罪を認めないお偉いさんと言う人々が出てきて、堂々としている。

私たちはふてぶてしい、どの面下げて会見しているんだと思うが、私は彼らは常に傷ついている人達だと思う。

私も過去の失敗は自分の責任だとなかなか認められないのだが、あそこまで社会的に立場を得て、人前に顔を出すような生活をしていると、罪を認めた瞬間に自分の存在意義がなくなるような、そんな気になって開き直ってしまうのかもしれない。

傷は傷としてずっと心に残るものだけど、傷を感じられるほど健全っていうのは恵まれた事なのかな。

だんだん、常に傷ついている感覚も麻痺してくると、人の心は頑なになって感覚すらなくなってしまう。

不器用に見えても、常に傷ついて悩んでいる人が、私は好きかな。