kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

悩みと行動

中学生くらいの時に、心身のバランスを崩して不登校になり、そのまま成人した私にとって、私立中学を受験する為に小学生で精神病になる子供がいるというニュースは、何とも心配なものだ。

良い大学に行けなければその子供の人生は不幸になると考えて、子供の将来のためを思って中学受験をさせるのが親心なのだと思うが、結局のところ、努力して勉強した結果、充実した学校生活が送れた人にとっても、学校生活に馴染めず不登校になった人にとっても、人生は理不尽な事の連続で、満たされないところから幸せを感じるようになれるか、そうなれずに思うようにいかない自分の人生を呪い続けるかは、学業とはまた別の学びである。

大学にも高校にも行けなかった私は、代わりにと言っては難だが、旅をする事で学ぼうとした。

生まれて初めて行った場所で、所持金もなく知り合いもいないのに、何とかその場を乗り切るという経験を繰り返しているうちに、人生において必要なのは悩む事よりも行動することなのだと思うようになった。

具合が悪く、小さな事でくよくよと悩んでいた頃の私には、考えるよりも先に決断して先へ先へと向かう将来の自分の姿が想像できただろうか。

ウクライナに行った時は、ポーランドから入ったバスが、キエフのどの辺に着いたのかもわからず、地元のお金も手元にないまま極寒の中を歩いて、結局ホステルの場所もわからなくて、親切なロシア人の親子の家に泊めてもらったりした。

その人達が熟睡してしまい、夜に帰ってきたものの、家に入れなかった私は、そのまま独立広場で当時行われていた反政府デモを見に行き、結局デモ隊と仲良くなって焚き火にあたらせてもらい、彼らが占拠していた建物の中で雑魚寝させてもらったりもした。

私がウクライナを離れた数週間後に、機動隊とデモ隊が衝突し、多くの人が亡くなって、占拠されていた建物にも火が放たれたニュースを見た。

あの時私を助けてくれたデモ隊の人達も犠牲になってはいないだろうか、と暗澹たる気持ちになったが、今も彼らと連絡する術はない。

生きているうちにできる事は意外と多くはないと思う。

だから、悩むよりも思い切って行動する事の方が、より大切だと私は考えるようになった。

将来のことはよくわからない。

荷物を持って成田空港に行こうとする私に話しかけてきて、なりたい自分を思い描いて人生に計画を立てて努力すれば、きっとなりたい姿になれるのよ、と教えてくれた年配の女性がいたのだが、計画通りに努力しようとして失敗し、挫折を経験した私にとっては、この人はそのようにして成功したんだろうけど、私は計画しないだろうと口に出さねど思った。

無計画だとか、危ない生き方をしているとか、私を観ていてヒヤヒヤしている人も周りには多いだろうが、今日も私は計画せずに動いてしまい、また新しい幸せを見つけようとしている。

何が起きたとしても、ポジティブに明るく生きるためには、ある種の無謀な挑戦と、真面目にその時を楽しもうとする気持ちが大事なのだと思う。