kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

雇用の条件


トンネルを抜けるとそこは雪国であった、という表現のように、私は人生のトンネルを抜けた先に眩いばかりの光があるとは考えにくいような10代を過ごし、病気が軽快した20代前半にようやくアルバイト先を見つけて一度実家を出た。

 


学歴や職歴がないと、アルバイト先からも足元を見られて安い時給でいいようにこき使われるが、それでも最初はこんな私でも働ける場所があると思うと、自信になった。

 


だが、仕事でまた具合が悪くなって入院してまた外の世界へ戻るという事を繰り返すうちに、色々な人と知り合い、生涯、病院の外に出られず、社会と切り離されて生活せざるを得ない人も多くいると知った。

 


彼らの多くは生活保護を受給していたが、何らかの事情で福祉に結びつけず、長年路上生活する事になる人も沢山いる。

 


ある時、ネットカフェから外に出ようとしたら、レジの前で必死に空の財布を探っている若い男性を見かけたりした事もある。彼はネットカフェ難民だったのかもしれない。

 


派遣会社に登録しに行った際に、説明のビデオの中にも契約書にも「基本的に、当社のお仕事では交通費を支給しません」という案内があり、半分怒りながら帰った。

 


そこの系列の別の派遣会社から仕事の案内が来たかと思うと、横浜のビヤガーデンでのホールスタッフの仕事で、交通費は一日500円まで支給で、ベージュのチノパンの服装の指定があるので、ユニクロなどでチノパンを買って用意してくれないかと言われて困った。日給6000円程度の単発の仕事で、交通費も持ち出しで、2000円から3000円するパンツを自分で買ってくれないかという話なのである。断ろうとすると、人がいなくて会社も困っているらしく、横浜まで買い物などの用事で行く事はないか、そのついでに働いてくれないかなどと食い下がってきて、ますます困った。

 


仕事という餌で、交通費や制服などを労働者に負担させようという風潮は10年以上前からあるが、今度はコロナ禍でテレワークが普及し、個人のパソコンや通信費、テレワーク先の場所代などでも負担が増えてしまったとも聴く。

 


これではお金がない人間は仕事ができないのである。

 


在宅ワークの求人なども探してみているが、非常に高度なスキルや、高い画像処理ソフトを持っていて、もちろん自分のパソコンやMicrosoft officeなどを自腹で用意できている条件での求人しかない。

 


昔は内職といえばミシンを月賦で購入して奥さんがミシンを踏んで家計の足しにするために稼ぐなんていう表現が本に書いてあったが、今は正社員の仕事が内職になり、内職するためにはパソコンやソフトやスマートフォンを虎の子として自分で買わなくてはならないという事である。

 


自営業者だったら青色申告をすれば必要経費として落とせるという話になるのかもしれないが、なかなか税務署も必要経費として認めてくれないケースが多いようで、自営業の人も雇用されて働く人も泣きを見ているように感じる。

 


雇用には条件があるのだ。

 


雇用主が求めるスキルと、必需品や交通費を自腹で払えるお金と、体力。そして何よりも大切な事は、雇用主に楯突かない事。

 


貴方の代わりになる人材はいくらでもいるよ、お給料を手にしたければ文句を言わずに従いなさい。

 


そう社会から言われているのが、今の労働者である。

 


私が持病を持つ障がい者であると判明した途端にある派遣会社からの仕事の案内メールは一通も来なくなったが、会社からそれらの仕事の案内メールが届いていた時には⭐︎マークで囲まれた「嬉しい交通費支給のお仕事です」という文字が件名に踊っているものもあり、交通費を一部支給するだけで恩を売られるようになっているとは労働者も舐められたものだなと呆れた事がある。それすらも今はない、というのが私の労働者としての価値を表しているのだが。

 


両親が若い頃は、携帯電話もなかったので、勤務時間中に映画館に行ってこっそり仮眠を取ったり、喫茶店でのんびり新聞を読んで仕事をサボっている人も結構いたという。それが良いか悪いかは別として、水を飲んだりトイレに行く回数すら制限されるような今の働き方だと、身体や精神を壊す人が増える一方だという事を、この社会はどうしても理解したがらないようである。

 


働く時は身体を壊すまで頑張る、という風潮は、単なる流行りの風潮であるのではなく、あくまでも搾取する人間の都合に良いように作り上げられた社会人のイメージである。

 


痩せている人がかっこいい、忙しい現代人にはこのサプリメントが良い、消費を煽るイメージというものは社会の隅々まで蔓延しているのだが、同時に出来る人を演じ続けるのに疲れた人に対する商売も確実に広がっているように感じる。

 


自己啓発セミナーや宗教の勧誘、健康食品の販売などもそれの一部だが、なんだか詐欺まがいの怪しい会社が私の住む街にも増えたなあと思っていたら、ある催眠商法の店は突然消えてしまった。

 


最初からある程度商売したら逃げるつもりでテナントを借りたのかもしれないが、人の不安や弱みにつけ込んで搾取するというやり方は、派遣会社も詐欺の会社も似たようなものである。

 


一体、詐欺や搾取を繰り返して社会に何が残るのだろう。

 


あちこちに空きテナントができた街を歩きながら、寒い風を受けて考えていた。