kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

壊れた社会における光

 

 

昨年あたりから、街中で脚を引きずって歩いている人や、車いすで通勤している人をよく見かけるようになった。以前はあまり見ることがなかった光景だ。

 

新型コロナワクチンの接種が推奨されてから、私の街には葬儀屋が新しくでき、膝や腰の痛みに効くというサプリメントの押し売りをする電話などもひっきりなしにかかってくるようになり、脚が曲がり始めたという話も耳にするようになった。

 

新聞の集金に来る人も、旦那さんが急に腎炎になって入院したとか、ワクチン接種後にひどい腹膜炎にかかったなど、不可解な話をよくしてくる。

 

ワクチン接種が始まった頃はワクチンの危険性を憂う発言をすると、非科学的で頭のおかしい人のように思われて、人間関係にもひびが入ったが、ずっと疑問を抱いてきた。

 

先日「関東甲信有志医師の会」というワクチン接種後の後遺症を多数見てきて対策を練っている医師たちが開いたイベントがあったので、参加してきた。

 

一つの物事に対して多方面から疑問を持って考えるということは、大切なことだと思って生きてきたが、コロナ禍ほど思想統制を強いられた経験は人生の中でなかったと思う。

 

イベントではまず、ワクチン接種後に亡くなった遺族へのインタビューや、ワクチン接種に警鐘を鳴らしてきた政治家へのインタビューなどを織り交ぜた「真実を教えてください」という映画を上映した。明らかにワクチンを接種したことが原因で亡くなったと思われるのに、警察での検視解剖は2時間ほどで済んでしまい、細胞の提供を断られてそのまま火葬しなくてはならなかったなどの遺族の証言があった。

 

あの手この手でワクチン接種による健康被害を隠そうとしていることがうかがえるが、今日初めて、ワクチン接種をして具合が悪くなった人が訴訟を起こしたというニュースをツイッターで目にした。市に対して起こした訴訟で、「ワクチンの注射の仕方に問題があった」ということで市が慰謝料を支払ったらしい。ワクチン接種の際、敢えて逆血確認という血管に薬液が注入されないように確認する作業を省いているという内容で、看護師の方がツイートしているのを見かけたことがあるが、意図的にそうしていたのだろうか。

 

今回のワクチンに関して、製薬会社はいかなる場合も責任を負わないという契約が交わされ、国々が購入したワクチンもなるべく廃棄しないで人に接種して使い切るなどのおかしな取り決めがあるにも関わらず、不平等で公正さを欠く契約に関してはほとんど公表されなかった。

 

ワクチン接種をすると、神経受容体に炎症を起こし、リウマチやそれによる歩行障害、ブレインフォグ(脳が異常をきたして正常な判断ができなくなったり、ぼーっとしたりすること)を起こしたりするとの医師の説明がイベントではあった。

 

逆にワクチン接種によって免疫不全が起きるという説も今までかき消されてきている。

 

西洋医学のすべてを否定する必要はないかもしれないが、毒ともいえる危険な薬を使い、患者を騙して死に至る医療行為をしていることも事実である。

 

イベントの2部では医師二人による講演会を行い、新型コロナウィルスが人間に感染する仕組みや、感染経路、ワクチンの危険性の説明などを行っていた。

 

今のオミクロン株ではACE2受容体という血管内壁にある受容体への結合はみられないため、肺炎に至っていた流行1年目の株に比べたら、コロナウィルス自体の危険性は低くなっているといえるらしい。逆に言えば、新型コロナウィルスの流行は、最初の一年で終わっているという説がある。スペイン風邪のときも、本当のスペイン風邪の流行は一年程度で終わり、その後はアスピリンの投与によって亡くなる人が多かったという。

 

コロナウィルスの危険性は、スパイクたんぱく質によって引き起こされる血栓症が問題となるが、スパイクたんぱく質が体にとって毒になるのに、コロナワクチンでもスパイクたんぱく質が作られることになっている。これは、昨年の読売新聞にも書いてあったことだ。

 

最近の産経新聞の記事では、コロナワクチンを二回摂取した人の方が、未接種者の2倍、コロナ陽性になる確率が増えるという記事があったが、これはネット上に流すと記事や投稿そのものが削除されやすい。

 

また、PCR検査はもうすでに「インフルエンザと新型コロナの見分けがPCR検査でついていないため」にアメリカで廃止されたが、これはウィルスの死骸が多い口内や鼻の粘膜で検査を行い、対象となるウィルスを増幅させていき、コンピューターで解析するため、恣意的に陽性にも陰性にもできるあやふやな検査である。

 

ワクチン接種後に脳梗塞血栓症が起きて亡くなる例が多数報告され、ワクチンの副反応として血栓症が起きる可能性があることは製薬会社も厚労省も認めているにも関わらず、うちの近くのパン屋さんの男性は背中が曲がっても4回目のワクチンを受けるためにお店の営業時間を短くしますと張り紙をしている。ワクチン接種によって体調が悪くなることを前提にして接種を受けなくてはならないと脅迫的に考えていることになる。

 

私の同級生のお母さんは、もともと脳梗塞で体の自由が利かなかった旦那さんが去年亡くなり、自分自身も体のあちこちに腫れが出てきてそれが移動すると私の母親に訴えている。

 

ほとんどの人がワクチンを受けてしまったことを考えると、それらの病気がワクチンと全く因果関係がないとは言い切れないのではないだろうか。

 

最近では都内に出ると、駅のホームで困ったように車いすに乗ったままうろうろとしているサラリーマンを見かける。駅員も乗客も誰も助けてくれないので、電車に乗れないのだ。

 

新大久保の駅などでは、電車とホームの間が狭くなっている場所がありますと、車いすマークがついた案内がある。駅員は乗り降りを助けられないので、そこから自分でなんとかしてくださいと言われているようなものだ。

 

子供への接種が始まってから、子供でも脚が曲がって歩行困難を起こしている人を見かけるようにもなったが、ワクチンを接種してもコロナウィルスに感染するということが当たり前になっているようなのに、危険なワクチンを接種しなくてはならないなんておかしな話だと思う。ましてや、子供は自分でワクチン接種を受ける、受けないを決められる立場にはない。

 

体に針を刺す、薬品を注射するということはインフォームドコンセントがない限りやってはいけないことのはずだった。だが、すべての人がワクチンを打たなくてはいけないという風潮が出来上がり、ワクチン接種を拒否する人を陰謀論者や頭のおかしい異端者扱いしたあげくに自分たちが具合が悪くなっているのでは本末転倒のような気がする。それほどコロナウィルスを脅威として上手に煽ってきた経緯がそうさせたのかもしれない。

 

今はブースター接種を受ける人も減ったようだが、具合が悪くなっても受けなくてはいけない医療行為なんてないはずだと思う。

 

だが、ワクチン接種が就業・就学の条件とされていた以上、生活するために仕方なく接種を受けた人が非常に多かったのだと考えられる。

 

 

技術を妄信させれば、現実を知られないので、楽に人を操れる。

 

今度はサル痘や、インフルエンザなどが脅威として報道されているが、ワクチン接種後に発疹が出たり、免疫が弱ることはひた隠しにされたまま新たなワクチンを推進している。

 

コロナにおいては安全な治療法を全て禁止し、ワクチンやモルヌピラビル、レムデシビルといった有害な予防法や治療法だけを推進した。初期のころ、肺炎を起こした患者を早い段階でECMOにつないだ結果、亡くなった人が多かったことも後から指摘されている。

 

コロナ騒ぎで医療への信頼度と社会の前提が全く変わってしまい、真実が何かがわからないようにされてしまったことは、私たちがこれからいかにして人間性と善意を模索できるかを試されているかのようだ。

 

 

また、議論というものは私たちが一番有益で意味があることのように感じているものかもしれないが、自分の意見がいかに信憑性が高いかを説明するのは、たとえそれが嘘でも容易にできることをコロナ禍が証明してしまった。

 

医療のひっ迫と報道されていた時に、幽霊病床を作って、誰も患者がいないのに助成金目当てだけで満床と偽っていた病院が多数あった。その情報も、渦中においては嘘ともとれるような信憑性しか持ちえなかった。

 

気軽に風邪をひいたとも言えなくなった世の中では、真実は厄介者になってしまう。

 

真実を口にすれば、社会が見たがっている「嘘でできた夢」は崩れてしまうので、それはご法度なのだ。

 

誰もが自分が見たい世界だけを求めている中、具合が悪くなった人はどうやって生きていけば良いのか見当もつかなくて絶望するかもしれない。

 

今私にできることは、社会における真実の価値を守るために正直に発言することなのだろうかと思っている。

 

先が見えない中で、見聞きした事実に勝るものはない。史上最大の薬害が目に見え始めた今、私たちは正直に自分が見聞きした事実を語らなくてはいけない岐路に立たされているように思う。

 

感染症の脅威のもとには人権がある程度制約されても仕方がないという雰囲気が生まれ、多くの人が自主的に自らの権利を放棄する方向に向かった。社会との調和のために自分の健康を犠牲にした例が多いだけに、最近の周りの人々の不調や訃報には心が痛む。