kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

人権と社会構造

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ショパンコンクールの話題が出てから、母がピアニストの牛田智大さんの演奏に惚れ込み、彼の演奏会に行きたがるので、一緒に牛田智大さんのピアノコンサートに行くようになった。

 


牛田さんの演奏と、聡明な思想は、彼がとてもまだ22歳とは思えないような早熟さがあるが、昨年末に静岡の浜松まで行った際、新幹線の駅からずっと怪しげな人達がついてきて困った経験がある。

 


私は統合失調症があるので、持病の妄想症状によってそのような怪しげで乱暴な人達に集団ストーキングされているのだと勘違いしているのだと最初は思おうとしたが、一緒にいる母も怖いと言う。

 


コンサート会場の中も、とても音楽に興味があるようには見えない怪しげな人々が沢山いて、コロナ禍なので開演前や休憩中に会話をするなというプラカードを掲げた係員が沢山いて、変な雰囲気だった。

 


それから数ヶ月経ち、今回は東京のサントリーホールで開かれた牛田智大さんの演奏会に行ったのだが、私の席の前が最前列なのに一つ空いていて、その左隣に女性が一人座っている。

 


その女性がやたらこちらを振り返って観たり、電波が繋がらないはずのスマートフォンで何かしていたりするので、怪しいなと思いながら観察していた。

 


サントリーホールはコロナ禍が始まってから、出演者にも厳しい規制をすると他のピアニストの方もFBで投稿していたのだが、今回は明らかに異様だった。会場の外に並んでいる時から、「特別警戒実施中」という看板を出してテロを警戒し、マスクにフェイスガードをつけた係員達が検温と消毒を客に促した後に、パンフレットの間にフェイスパックやらチラシやらを沢山挟んで渡してくる。あまりにも沢山挟んであるので、みんな挟んであるパックやチラシを床に落として拾う羽目になる。

 


消毒した後に床から落ちた物を拾うのでは手を消毒する意味もないし、フェイスパックをピアノコンサートで配るなんて聞いた事がない。

 


ロビーには「牛田智大さんにお花を贈ろう」という企画があり、これを個人の家のどこに置くのだろうというような大きな花の台があり、一口でどのような花がどのくらいつくのかという説明もないのに一口千円で、三口、五口と金額も上がっていく。そして、お客さん個人が牛田智大さんに花や贈り物をあげるのは禁止で、密を避けろと言いながら牛田さんが子供の頃の写真までついた切手シートやチロルチョコ、ハンドタオルなどのグッズ販売までしている。

 


最近、若い女性アイドルのグッズを買うと交流ができるという水商売のようなビジネススタイルが定着してしまい、それが若い男性スポーツ選手や音楽家にまで対象が及んでいるが、子供の頃の写真まで使ってグッズを作って売るというのはセクハラではないかとも思ってしまうし、第一、人が集中してしまうのが問題なら座席に人を入れる人数を制限したりすればいいのに、お金になる事だけは問題外のようで全ての席にお客さんを入れている。

 


そして客席にもお客さんを見張るような変な人が紛れ込み、係員も会場の写真を撮るなとか、会話をするなとか、やたら禁止事項ばかり出してきてお金を払って来ている人達を監視している。

 


驚いたのはパンフレットを撮影していただけの男性にも写真を撮るなと注意し、聴く時は座席に背中をつけて聴けと姿勢にまで言及してきた事である。

 


しかも、座席に背中をつけて聴けというのはプラカードではなく、口頭で言っている。人に喋るなというのであれば、マスクやフェイスガードをつけていても喋って注意することはおかしいのではないだろうか。

 


第一、注文の多い料理店のように、お金を払って来ているお客さんに対してそういう対応は大変失礼だと思うのだが、彼らの不躾な態度にはみんな怒っているようだった。

 


会話をするなと言われてもみんな従わないで喋り、コンサートが終わって退場する時もブロックごとに分けて退場させようとしていたが、さっさと席を立って「着席したままお待ちください」というプラカードを掲げて立つ係員に「どうも、お疲れ様です」と頭を下げながら堂々と先に帰っていく強者の老婦人もいた。

 


気になるのは、牛田智大さんが素晴らしい演奏をしているのに、例の前にいる女性は演奏中は寝ていて、全然ピアノに興味がないのに拍手の時だけ起きて頑張って拍手している事と、普通の携帯だとホール内では圏外になってしまうのに、スマートフォンで誰かと連絡したり検索したりしている事だ。今の技術ではトランシーバーのようなスマートフォンも作れるから、そういう特殊なものを使っているのだろうが、マナー違反という事で係員が注意しに来る事もない。

 


明らかにピアノのコンサートに着慣れていない人が、別の席から場違いな拍手をしてしまい、みんなから白い目で睨まれるという事もあった。

 


牛田智大さんの表情も深刻で暗く、デビュー10周年という事でスピーチをした際も、ウクライナでの戦争について悲劇だと言う発言があったが、早口で聞き取れない。

 


変だなあという気持ちを抱きながら、次の日少し東京を観てみたが、銀座も随分変わってしまって観るものがあまりない。前は無料で観られるギャラリーなどが沢山あったし、何も買わなくてもぶらついているだけで色々目にしたが、デパートにも路面店にもほとんど観られるものがなく、やはり怪しげな人がついてくる。前は男性が多かったのに、今は女性が多い。

 


みんなコロナ禍で仕事がなくて、水商売をするくらいなら公安の手先になった方がと思ってやっているのかもしれないが、意図的に貧困を作り出してきて色々な人を困窮させてきたのは国ではないのか。

 


憲法は完全に形骸化していると言われるが、個人の自由を奪うのも健康で文化的な生活を保障しないのも憲法違反であり、本来なら怪しい仕事をさせられている人達も安心して文化的な生活をできていなければおかしい。

 


私は、ずっと改憲をしようと言ってきた国が、意図的に貧困と格差を作り出してきて、戦争に加担しようとしている意図と、コロナ禍が起きた背景が結びついた気がした。

 


電車の中やコンサート会場で「感染を避けるため」に会話をさせないようにして人と人との繋がりや情報の共有を難しくさせ、戦争が始まればコロナ禍の報道を減らし、警察法を急に改正して表現や思想の自由も奪って弾圧しようとするのである。

 


東京にいると、怪しげな人が近づいてきて嫌がらせを受ける事も多いが、本来対立しなくても良い者同士を対立させて社会に混乱を招くのも犯罪である。

 


話は変わるが、私の親戚が骨折を機に入院していたが、コロナを理由に息子さんに面会させず、手紙も開封してチェックし、(真面目に仕事をしていたら忙しくて人の手紙を読む暇なんてないと思うが)親戚は夜中に看護師の手を払いのけた。そうしたら、病院側は「暴れた」と言い、急に30分も息子さんと面会させてくれた。親戚は、息子さんに「小さな声で話してくれ。死んで出て行った人もいるし、何されるかわからない」と言うらしい。

 


そこで私がそこの近くの市議会議員の友人に相談したところ、急に退院できる事になった。

 


病院も何も信用できたものではない。

 


急速に世の中が悪くなっていく中、今度は昨夜大きな地震が起きた。

 


久しぶりにテレビをつけてニュースを観ていたら、福島に津波が来るかもしれないと言う男性アナウンサーの声が震えて、泣いている。

 


福島第一原発事故の時も嘘をつき続けてきたテレビが、完璧に信用を無くした瞬間、彼は怖さに震えていたのである。

 


そのアナウンサーでは務まらないと局が判断したのか、今度はもっと冷静に話すアナウンサーに変わったのだが、「地面が割れているかもしれないので」と言うべきところを「じみんが」と言ってしまったり、「暗くて危険なので、声を掛け合いながら避難してください」と言っていたかと思うと、「人が集まる場所は危険なので行かないてください」と言いはじめる。

 


人が集まる場所では怒りを買って自分が怖いのだろうが、それはあんたの話だろ、という感じである。吉野源三郎の本ではないが、「君達はどう生きるか」と言う問題ではなかろうか。

 


今日も何食わぬ顔をしてテレビ報道をしているらしいが、福島はかなり揺れて大変らしい。

 


何故、あって当たり前の権利を奪われてしまわなくてはいけないのか。

 


人権が社会によって奪われた時に、人を救うのは人の心ではないのか。

 


私たちは破滅に向かっているように思われるが、優しい気持ちを持ち続ける事が罪のようにされる今、狂った世の中をどう観てどう生きていくかが問題のように思われる。

 


ちなみに、北海道に住んでいる母の友人の話によると、北海道でもミュージカルなどの会場で「会話をするな」などのプラカードを掲げて、異様な独裁国家のような雰囲気が3ヶ月前くらいからあると言う。

 


温厚な日本人が激怒している中、黙って従わないという反乱もあちこちで起きているようだ。

 


私は色々な混乱がAIによっても引き起こされていると思うが、人と人とが互いを尊重し合う幸せというものは、決して機械には理解できないものだと考えている。