kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

障がい者の性

最寄駅から家に帰るまでには、もう暗くなっていたので、久しぶりにバスに乗る事にした。田舎なのでバスの本数もあまり多くないが、ちょうど改札から出てきたら私の家の方向に行くバスが来ていたのだ。

 

私がバスに乗り込もうとした時、バスの運転手の男性が休憩するために降りてきた。その時バスに乗る客は私しかいなかった。

 

どの席に座ろうか迷っていたところ、後ろからバスの運転手さんが怒ったように怒鳴る声がした。振り返ると、知的障がいがあるらしい40代くらいの男性客に対して怒っている。

 

何故バスの運転手さんが彼に対して怒っているのか最初はよくわからなかったが、話を聴いていたら、どうも知的障がいがある男性が、私をターゲットにして痴漢行為を働こうとしていたらしい。他の女性も狙って痴漢行為を繰り返しているのか、運転手さんには顔も職場も割れているようだ。

 

バスの運転手さんは、私を庇ってくれ、「この方お客さんだから!あんまりこういう事やるなら、貴方の会社の社長さんに本当に言うよ?」と詰め寄っている。男性は怖くなったのか、バスに乗るのも私に手を出すのも辞めてその場を去って行った。

 

夜道を歩くのが危険だからバスに乗ろうとしたのだが、逆に痴漢常習犯に狙われる事になったのは意外だったが、同時に知的障がいがあるという事だけで恋愛のチャンスが殆どなく、結局見ず知らずの女性に性犯罪を犯すところまで追いやられていく彼らの境遇が気になった。(障がい者だから性的欲求が抑えられないと言いたい訳ではなく、私は障がい者として生き障がい者と接する中で、性的な欲求の対象になる経験が比較的多いという意味あいでこの記事を書いている。)

 

私も精神障がい者だが、薬を飲んでいればある程度普通に見えるためなのか、障がいを理由にして恋愛で不利益を被った事はあまりないかもしれない。だが、一度精神病院に入院したら、男女共同利用の病棟なのに性犯罪を防ぐための指導は一切なく、避妊具なども配られず、代わりに異性との接触は厳しく見張られた。セクハラも沢山受けたが、特に女性にとって危険な環境なのに、具体的に身を守る方法は何もないまま集団生活を強いられたのはとても理不尽だった。病院は、性的逸脱を防ぐ為に禁欲を強いる割には、全然合理的ではない対応をしていたのだ。

 

精神病院や障がい者施設では、恋愛が御法度なのだが、同時に保護を受ける障がい者は禁欲を強要されて人権を奪われるのが当たり前になっている。

 

私が自分の障がいを意識したのは20代半ば過ぎに幻覚によって錯乱してからだが、その前までは単に性格が難しくて不登校になっただけなのだと思い込んで生きてきていた。周りの人に迷惑をかけてきたが、知的障がいと精神障がいの差別される度合いは異なるかもしれない、と今回は強く思った。

 

近くに古本屋があるのでたまに行くのだが、ポルノのDVDを沢山レジに持ってきて、(自分がいくら持っているのか分からないのだろうが)290円ほどの金額でDVDを全て買えないかと店員に訊いて、この金額では買えないと言われると今度はカバンの中から女性のヌード写真集を出してきて、この本を売ったお金でDVDが買えないだろうかと大声で訊いている、知的障がいのある男性もいてびっくりした事もある。

 

結局のところ女性は性的に搾取されるべき性という認識は、殆ど社会の隅々まで根付いているのかもしれないと感じて怖くなったものだ。

 

人間の一番根本的な欲求として、性欲や支配欲や食欲があるのかもしれないが、他者を巻き込むまでに欲求を拗らせていく背景には、強い者だけに権利を与えて、弱い者は何をされても黙っていろという暗黙の支配構造が絡んでいるのではないだろうか。

 

人は自分よりも弱い立場の人を見つけて安心しようとする。大概、子供は無意識のうちに母親を下に見ようとして、甘えながら全てを許してくれる事を望み、彼女が例えば専業主婦になった事を馬鹿にしてみたり、または家庭をある程度放置して働いていた事を恨んでみたり、ありとあらゆる手を尽くして母親というコンプレックスを打倒しようとする時期がある。

 

父親に対するそれは生涯の恨みや呆れに繋がる場合も多いのだが、無意識のうちに一番近い人物に対して闘志を燃やすのは自然な欲求のように認識されているかもしれない。

 

そして、未だに特に女性は結婚して子供を持つべきだと思われている。

 

社会に性を管理されている事に声を上げるようになってからかなりの歴史があるのに、人間はポルノによって儲ける事や人を一時的に満足させて支配する事を辞めようとはしない。家庭を持つも持たないも自由なはずなのに、家庭という単位に人を押し込めようと働く。そこに権利や自由はあるのだろうか。

 

だが、見た目や振る舞いが「健常者」に見える事だけを基準に、性的欲求を持って良いかどうかを判断して差別している事実は、それこそ容姿や若さや権力を優先させる社会にとってコンプレックスなのである。

 

生涯独身の人や性的欲求を持たない人も徐々に声をあげて、自分の生き方を否定しないよう頑張る時代になってきたが、それと同時に社会に蔓延して黙殺されている障がい者への性差別と性犯罪は、これからもっと公に語られるべき問題なのではないか、と私は思っている。

 

だんだん年齢が高くなるにつれて、性犯罪の被害に遭いそうになっても毅然と睨みつけられるだけの度胸は身についてきたかもしれないが、自分が割と大人しそうに見えるというだけで男性から痴漢行為のターゲットにされるのは許し難い事でもある。

 

だが、相手を軽蔑して憎むだけでは問題の真理に辿りつけないという事が、今回学んだ事実だった。