kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

ハラスメント

パワハラモラハラについてのニュースが注目されている。

 

私は持病の症状で被害妄想や幻覚、幻聴が出てくるため、職場でハラスメントを受けたと感じても、それが真実であるかないかの線引きが難しく、結局ハラスメントの実態はうやむやになってしまう。

 

荘子(荘周)の「胡蝶の夢」について、ふと思い返した。夢から覚めた自分が現実か、夢の中で蝶となって舞っていた自分が現実か、その線引きがわからない事を書いている。

 

ハラスメントを受けた事は、なかなか口にできない雰囲気がある。

 

ハラスメントの加害者について文章を書いてSNSに書いた時に、書いた私の方が知人から非難された事がある。

 

被害者は沈黙すべしと考える人が多いのかもしれないし、真実を見せる事はアイデンティティが揺らぐような不安定感を感じさせるのかもしれない。

 

自分の被害妄想なのか、真実なのかの境目を見極める事がこれからの世の中を生きていく鍵になるのだと思うが、医者が私にこう言った事がある。

 

「あなたの病気の症状って、誰でもストレスを感じたらなるから、特別な事じゃないんだよ。普通の病気じゃない人を壁の白い部屋に閉じ込めて、寝させないようにしていたら、2〜3日で幻視や幻聴が始まって、誰も部屋に居ないのに、そこに人がいるとか、言い始めるの。」

 

そして、加害者側にとってはハラスメントはそんなに記憶に残るような事ではない。家族に家事を任せたり、稼がせてきて当たり前みたいに思っている感覚と大差ない。

 

そこら辺から、被害の実態についての認識も、加害者と被害者の間でズレが出てくるのだろうし、被害者に対してバイヤスをかけてものを見る「世間」も生まれてしまうのだろう。