kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

冷ややかな目線

東日本大震災が起こる前、私は電車の中である若い女性を見た。

彼女はリュックサックに「STOP!もんじゅ」とメッセージを貼り付けていた。

それを見たときの私の目線というものは、今、自分が社会問題に対して無関心だと思える人達の目線と全く同じものだったと思う。

何を契機に私が社会問題について関心を持ったかというと、東日本大震災が起きて、福島の原子力発電所が爆発してからだと思うが、それも昔NHKで働いていた経験のある友達から「関東から避難しろ」という電話を受けるまでは、よくわかっていなかったと思う。

福島だけに問題があるわけではなく、核そのものが恐ろしいものであるし、核問題だけでなく気候変動などのすぐに対応しなくてはならない問題が山積みであると思えるようになったのは、社会に蔓延する嘘に気づいてからだ。

それまでは、私は原発の存在すらよく知らなかったし、高速増殖炉もんじゅの問題についても漠然とした認識しか持っていなかった。小学生の頃は人間を忌み嫌っていて動植物が好きだったため、自然破壊は良くないとか当時は地球温暖化と呼ばれていた気候変動についても真剣に怒っていた時期もあったのだが、20代の後半になるまではそういった気持ちも薄れてしまい、物欲や名誉欲に燃えるような、どちらかというと勘違いしている若者だったかもしれない。

知るという事は気持ちが素直で、虚栄心のない心で素朴な疑問を持てる状態でなければできない事だと思うし、あの頃の私は何か真実を知ったとしても、卑屈で傲慢な「知ったかぶり精神」で真実を無視するような人間だったかもしれない、と思う。

学業というものとは程遠い環境で育った私にとって、学ぶという行為は常にコンプレックスになっていたと思う。

いつしか純粋な気持ちを失っていた中途半端な私にとって、社会の押し付けてくる美意識や名誉欲のようなものは、神格化されていたかもしれない。

10年近くもの間、摂食障害に悩まされていた私は、21歳で実家を離れるまで非常に不安定だったし、広告やテレビなどの情報にすごく影響されやすい人間だった。

アイデンティティが形成される時期に数多くの広告に触れるという事は物凄く怖い事なのだが、物事の判断基準がない若者にとって、広告は神様である。

素朴な名誉欲に燃える人にとっては、教科書に書いてある事や新聞の記事、テレビの吹聴する嘘は真実のように思える。

けれども真実というものは挫折や失敗、裏切られる経験からしか知ることの出来ない事なのかと、最近の私はよく考えるようになった。

子供の頃に純粋な気持ちで理由もなく好きだったから自然を守りたいと考えていた気持ちはかけがえのない物だと思うし、その気持ちをもう一度取り戻したいと思うものだが、一度社会から蜜を与えられて麻痺した大人の感覚は、またそれとは違う性質を持っているし、真実を目にするとそれを疑ったり、無視したりという事の方が多くなる。

結局は、刺激を与えられる事に満足して疑問を自ら持たないことを「大人の美徳」と信じて疑わない感覚に問題があるのだろうが、人の生死を目前にした時ですら、現代の人は心を動かされない所まできているのかもしれない、と思う。

原発被災者に対する心無い誹謗中傷や、性犯罪被害者に対する穿った偏見がネット上に溢れる様子を見ていると、人の心は心でなくなりつつあるように思うが、心無い事を言う事をちょっとした見栄のように思っていた過去の自分には、恥ずかしく思うことが多い。

無垢な気持ちで物事に向き合う事は難しい世の中かもしれないが、どんなに心無い事を言う人でも元々は善い人なのである。

ストレスを感じる人々が休日には美味しいものを食べに行くために行列を作ったり、マッサージやスパに行ったりするのをみていると、癒しを求めるだけ社会の嘘を感じているのだと思うし、言葉にしにくいようであっても感覚が完全に死んでいるとは言えないものがあると思う。

社会の嘘を嘘だと指摘し、批判する為には自分の感覚を信じて疑わないという自信もまた必要なのである。

真実に対して穿った目線を持ち、真実を追求する人々を冷ややかな目線で見ていた過去の私には、自分の感覚を信じるだけの無垢な心が無かったように思う。

子供の頃の純粋な気持ちを一度失った大人は、子供の頃と全く同じ心を持ち続けるのは難しいかもしれないが、少なくとも人の親切心を感じて笑顔になれる大人には、十分に真実を受け止める心の柔らかさも余地もあるのだと思う。

嘘に惑わされ、虚栄心をプライドのように感じて自分の支えにしていた過去の私は、原発事故を何故か真実だと受け止める事ができた。

それが何故に私の心を動かしたのかは定かではないが、友達の電話を受けて彼が避難しようとしない私を怒鳴りつけた様子に怯えた事は確かで、岡山に避難した私は忘れられない光景がある。

岡山にいる親戚の家がどこにあるかも知らない私は、NHK岡山のパブリックテレビの会場にふらっと入った。そこには、椅子に座り込んで携帯電話とメモ用紙を手にした年配の男性と私しかいなかった。

福島原発の様子を大型テレビが映し出していて、自衛隊のヘリコプターが煙をあげる原発に放水しているのを見た男性は、メモを見ては何回も誰かに電話をかけている。

彼の様子は見たこともないほど憔悴しきっていて、電話をかけている相手は彼の大切な人なのだろうと想像できる。

その時初めて、私は自分の感じた危機感を信じる事が出来たように思う。

今は危機感を騙しながら関東で生活しているが、人の信念や気持ちというものは他人の背中から感じるようになった。

私自身が私の背中を見る誰かに影響を与えているとは思えないが、人の為に憔悴しきって心配しているあの男性の姿というものは、私が大人になってから初めて経験した感情を私に与えた。

未だに嘘しか伝えない社会が、時折切り取って見せる真実の断片を、NHKで映像の編集をしてきた友人はよく知っていたし、名前も顔も知らない岡山の男性の姿は、人は他人の為にここまで一生懸命になれるのだという新鮮な衝撃を私に与えた。

人は、真剣になる事で他人の心を動かし、嘘に惑わされてぼんやりとぼやけていた感覚を呼び覚ます力があるのだと、あの時はっきりと思ったわけではないが、今はそれを信じる事ができる。