kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

映画「流浪地球」を観て感じた事

友人のエマニュエル・パストリッチさんが上海で観てきた映画の感想を送ってくださいました。私自身の文章が書けていないのが難ですが、ここでご紹介します。

上海で中国SF映画「流浪地球」を見て感じたこと

今年の二月、上海を旅する間、私の心の中ではずっと現代中国の矛盾が渦巻いていた。とにかく、中国は単純な国家ではなく、中国を観察するのはただ単に楽しいことばかりではない。今後の中国の動向が私たちの未来を左右することは確かであろう。

とりあえず、上海の街を眺めながら、アメリカ政府やアメリカ企業がいかにして腐敗や軍国主義に陥ったのか、また、大衆には現状を気づかせないようにいかにして大衆の関心や注意を分散させてきたかについて考えてみた。私は内心、中国が対案になってくれることを期待していたのだが、結局、得られたのは失望だけだった。

私は三十年もの間、仕事の一環として中国を注視し続けてきた。東洋学専攻の学者が集まると、中国はおそらく今後、三十年内に世界で重要な役割を担うことになるであろうという話は随分前から話題に上っていた。

ところで、近年特に、アメリカのマスコミは著しく偏っているので、代わりのメディアを見出さなければならないことに気づいてからは、私はフェイスブックを頻繁に利用するようになった。

面白いことに、フェイスブックには中国の習近平首席のために作られたアカウントもあり、アメリカの外交政策について一層役に立つ記事に触れることもできる。習近平のアカウントには一部、政府が発表した資料も含まれているが、公共の広報サイトではない。このグループはアメリカやアジア問題を専門に扱う会員たちがメンバーの大半を占めており、相当たるメンバーが顔を揃える数少ないサイトの一つである。
そこに掲示されている記事を見てみると、中国は貧困をなくして新再生エネルギーの利用増加に向けて取り組んでおり、また中国は欧米とは異なる文化を基盤とした活力を生かした国家モデルの模範であると世界中にアピールしている。

しかし、私はこのような熱い意気込みが感じられる報告書を讀んで懐疑を抱かざるを得ない。中国は多くの強みを持っているが、中国も所詮、欧米と同じように環境には全く無関心で、消費文化や金銭的な基準で人間の価値を評価しているに過ぎない。

このグループには今まで中国がアフリカで行なってきた発電所および工場建設支援の記事を載せており、また、どの国家よりも中国がアフリカで橋建設を数多く行ってきたことも紹介している。その記事から垣間見れるのは、アメリカの終わりなき戦争を回避しつつ、大規模な建設プロジェクトの推進によって豊かになった中国の姿である。

しかし、気候変動によって生じる災難を防ごうを思えば、今ある高速道路や空港は閉鎖して、これ以上増やしてはならないのである。「成長」とう危険なイデオロギーが中国をどれだけ汚染してきたか我々はよく知っている。中国では経済を消費や生産という側面からしか考えておらず、環境に及ぼす影響についてはまるっきり無視している。

中国が「成長・消費経済」を世界中に拡散しながら「シルクロード」に沿って建設した石炭発電所や空港にずっと資金供給をし続ければ、真っ暗な未来が待ち受けているのは間違いないであろう。アメリカに比べて中国の方がより積極的に太陽光発電風力発電に取り組んでいるということは、ちっとも慰めにはならない。

上海の飲食店はとてもおしゃれで、ソウルや東京にも引けをとらないくらい清潔だった。料理はおいしくて、サービスも文句のつけようがなかった。しかし、残飯の問題はとても深刻で、以前のようにウエートレスと気軽に会話を交わせる雰囲気はなくなってしまった。

上海滞在中、大勢の人が目にする広告で環境問題を提起するものは皆無であった。また気候変動について問題を提起しているものも一切目にすることができなかった。中国の若い世代は環境に及ぼす影響のことは全く眼中になく、プラスティック容器を平気でポイ捨てしていた。

上海では欧米式の高層ビルが急増した。そのビル内にある巨大な施設は大量のエネルギーを浪費している。また、それによって高層ビル内で働く人たちと近隣の地域社会との間には大きな乖離ができている。人間味溢れた上海の小規模な商店や店は大型建設プロジェクトに追いやられ、立ち退きを余儀なくされていた。

庶民の要望には関係なく、そこにはスターバックスやファッション関連の店舗や味気のない飲食店だけが増え続けている。街の片隅に張られていたポスターには「幸せになるためには大きな家と高級車が必需品」だと書かれていた。

上海を初めて訪れた1990年に、私は小汚い食堂やみすぼらしい学生寮復旦大学の中国古典文学科の教授や学生と交流をした。当時は光熱費がとても高く、また、人々もまともな金銭感覚を持ち合わせていたので、その場所はとても暗かった。そこで出会った学生たちはみな本を読むことに多くの時間を費やし、高い問題意識を持っている印象を受けた。

今回の上海滞在中に劉慈欣原作の小説を郭帆監督が映画化した「流浪地球(さまよえる地球)」を見る機会があった。エコノミストの2月16日号には「流浪地球」の映画批評とそれに対する中国国民の反応についての記事が掲載されていて讀んでみた。
習近平の思いが世界を救う」という見出しの記事だったが、エコノミストがこの映画を馬鹿にしていることは、記事の初っ端の「大災難が迫っている。人類の唯一の希望は中国人だけだ(The apocalypse looms. There is only one hope for the human race: China)」という文章を見れば、すぐにわかる。この記事のレビューを巡っては、中国内で大炎上騒ぎが起こった。
 「世界を救うのはやはり欧米が独占している」というユーモラスなブログの掲示物(出所不明)があるのを教えてくれた人もいた。
 そこには「ハリウッド映画では毎回スーパーヒーローたちが地球を危機から救ってきた。しかし、史上初めて中国人ヒーローが地球を救うと、エコノミストは理性を失い、こんなストーリーは 「理不尽」だと片付けてしまう。欧米の帝国主義思考の指標を担うエコノミストは、五世紀もの間、欧米の帝国が行なってきた欲望充満のための略奪ではなく、平和的に相互に利益をもたらせる助け合いでよりよい社会を作ろうとしている中国の努力を嘲弄することに記事の大半を割いている」と書いてあった。
 これを読んだ私は素直に笑えなかった。確かに、エコノミストの「流浪地球」の批評は、一種の過剰反応としか言えなかった。軍を美化したり、拷問を正当化したり、野蛮性や欲望を助長するハリウッドのブロックバスターの製作数を考えてみれば、他の対案を探すしかないと思うのは当然であろう。
 この映画は、とある三世代の家族と全人類が破滅に向う地球を救うために力を合わせて危機から脱出するというストーリーである。この映画のストーリーを簡単に説明すると、太陽が衰退し膨張して太陽系をのみ込む危機に瀕し、同時に人類も生存の危機にさらされる。そのため、何百年もの間、地下都市で暮らしながら生き延びる手段を探っていたのだが、ついに科学者たちは地球の表面にいくつもの推進エンジンを建設し、推進エンジンに搭乗して生き残った地球人は地球から抜け出して宇宙空間に新天地を求めるというものである。
 途中、地球が木星の近くを通りかかる際に、重力場にはまってしまい地球の大気の一部が木星を覆っているスモッグに吸い込まれてしまう。しかし、若者中心の研究チームが木星の大気に爆発を起こし、地球を木星から遠ざけさせることで再び宇宙空間に向わせる計画を思いつき、危機を乗り越えるシーンも出てくる。
 この映画にはいくつか大きな特徴がある。この映画のストーリーには一切戦争や殺人はもり込まれていない。誰かによって殺される者も一切登場しない。そういった点からすると、この映画は今までハリウッドで製作されてきたアクション映画よりも一枚上だと言える。またコンテンツや演技力不足を補うための道具として利用されてきたあからさまな商業的シーンも登場しない。この映画では、問題の原因を招くことになった人とのつながりや家族の大切さ等の人間関係に焦点を当てている。それにもかかわらず、監督は障壁を除去するために銃器を使用するという、いくつかシーンを含めざるを得なかった。
 この映画は、成功には合理的な計画と思慮深い対話が必須要素であり、グローバルガバナンスには積極的な参加が相互の利益になり得ることを仮定している。多くのハリウッドのSF映画やアメリカの外交政策の多くの場面で見られる非合理的で反化学的なテーマとは対照的である。
 その分、映画全体でエコやオーガニック的な要素が見られなかったのはとても残念であった。建物内の空間はコンクリートやガラスで張り巡らされており、地球の表面はすっかり乾きあがって完全に荒廃していた。植物の栽培や環境保護について触れたり、災難状況から生き残るためには節約が絶対に必須だということにも全く触れていなかった。
 また、人類滅亡を回避するために巨大な推進エンジンが使用されていたのだが、技術を利用すれば生態の危機から免れることを仮定したり、推進エンジンから排出される大量の炭素ガスは問題にならないということを前提にしている。
 要するに、中国が積極的に推し進めている宇宙開発が気候変動への対応にともかく重要な役割を果たすであろうというのである。そういった意見は残念ながら事実をごまかしているだけなのである。
 SF映画について語る場合は、地球をどう太陽系に進入させるか等の面白い話はちっとも問題ではない。しかし、基本的なテーマはフィクションではない。この映画で描かれている大災難は人類がもたらした気候変動であり、それは、実際私たちが直面している現実なのである。今、私たちに必要なのは、気候変動の最中でも生き残れるよう地球人に文化の再創造法を示す映画なのである。この映画ではそういったモデルが提示されておらず、その上、気候変動の本質には全く迫ってない。
 今回上海を訪問し、また「流浪地球」をみて私が最も気になるのは、その内面に潜む反知性主意的傾向である。上海は魅力的な場所ではあるが、ホテルは勿論、どの場所でも新聞を目にすることはなく、上海滞在中に深刻な問題について話をしようとする人には全く出会えなかった。
 私は中国の未来に多くの選択があるとは思っていない。いかなる面においてもこれから中国の影響力はますます増大するであろう。しかし、今後の中国の文化は完璧に変わることも可能で、これは中国の若い世代にかかっている。中国の若い世代が消費至上主義、軽薄、不正等の危険な文化から抜け出し、真の代案が提示できることを願っている。