kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

朝鮮半島統一 その5

先程の投稿の続きです。

共産党からの批判がなくなったということは、今後30年間の世界が破的な形で展開することを意味していの人たちが資本を占して市民に空消費文化を要する夢のような世界と、急激動の登場は無係ではない。念ながら、マスコミは消極的ながらも動を報道しながら、それが遠い未のことのように思わせた。科門家たちがり時間が少ないと叫ぶ中でもである動への対応は、統一政策の中心にならなければならない。しかし、韓国政府と企業は、北朝鮮において十年は環境問題いように継続できると呑気仮定をしている。これな詐欺だが、韓や東南アジアでの石炭の使用を奨励することよりマシである
 
朝鮮半島、特に北朝鮮が冷の最後の滓ということも根のない信仰の一つである北朝鮮は本自由な開放市場、自由な意見交換、民主的なプロセスを通じた個人の在能力のを原動力とする新たな世界秩序の彷徨う古い主義の最後のなのか?今日パリの道の上でフランス政府とう人は世界をそのように見ていないのはである。自然環境を破して、統的な農家を貧困に追いむ巨大企業型農業とう人は西世界でパラダイスを発見できなかった。もちろん、北朝鮮腐敗の沼に嵌って国民を抑し、あまりにも長い間間違った道をんで来たのは事である。しかし、私たちは、北朝鮮のこのような問題を解決する道が、シンクタンクを介して政府に政策を要する無慈悲な多籍銀行から出てこないことは分かっている
 
朝鮮半島の悲劇的な分の最も強力なある非武、すなわちDMZを考えてみよ。年配の世代にDMZは、社主義と資本主義の世界による経済統制社会と民主的で自由との間の悲痛分裂を意味する。彼らにDMZは、ヨーロッパなどでは既に克服された個人の痛みと過去の分裂をえる記念碑である。DMZは、インターネットと共に境が消える時代にも過去30年間の自由貿易と自由によって世界が統合した今も、奇妙な姿でっている。より適切にDMZ表現することは出来ないであろう。
 
DMZを他の視点から眺めることは出来ないのであろうか?若い世代にDMZが何なのか聞いてみると、彼らはDMZを過去のではなく、むしろ来るべき何かの前兆であると言うかもない。すなわち資本と商品、スーパーリッチは自由にどこにでも行くことができが、一般人の移動は制限される将来前兆だと
私たちは、パレスチナガザ地んでいる壁、米とメキシコの間にドナルド・トランプが建設中の巨大な壁でDMZの末裔にことができる。これらの壁は、貧しい者を遮し、武力を使ってグローバル投資が引き起こした経済的葛藤を解決する。
 
私たちのすぐそばにも壁がある。裕福な人々が住んでいるゲートコミュニティを囲む壁、快適な生活を楽しんでいる人たちが自分たちと同じでない人たちと交わることを回避できるように積み上げる壁であるこれは韓だけでなく、私たちの社のあらゆる場所の急進的な分裂がな利害係を共有するための小さな集細分化されていることを示唆している