朝鮮半島統一 その6
これで文章の最後になります。エマニュエル ・パストリッチさんの書いた朝鮮半島統一についての小考察です。
統一政策の隠された先例
統一プロジェクトをさらに深く掘り下げるために、統一計画を策定している韓国政府と企業の潜在意識の中に、正確にどのような統一モデルがあるのかを考えてみる必要がある。もちろん、彼らはドイツの統一を話すかも知れないが、ドイツの統一過程は、朝鮮半島の歴史や韓国人の本能的な反応とは距離が遠い。
朝鮮半島は過去にも、経済的、政治的、社会的統一を成し遂げたことがある。新羅や高麗時代にも統一されたが、時間上あまりに遠い過去であるため、韓国人の心に直接的な影響を与えなかった。ただし、影響はないとしても、韓国の人々の意識の中に隠されていること、韓国人たちが経済発展と統一についての考え方を形成したものは何であろうか?
比較的最近に大規模な経済的、政治的統一プロジェクトの先例があった。1936年、日本人の朝鮮総督によって締結された「第1次満州 - 朝鮮協力協定(第一次満朝協定)」である。この協定は、満州と朝鮮の両方の迅速な工業化と効果的な経済文化の統一のために「満州と朝鮮は一つ(満朝一如)」と呼ばれるビジョンに始動をかけた。1930年代後半の朝鮮の新聞は、朝鮮企業は安い満州労働力を活用して、満州の天然資源(石炭、鉱物、肥沃な土壌)を用いて迅速に富を生み出すことができる巨大な機会を得たと報道することに忙しかった。
2014年に朴槿恵前大統領(当時大統領)が北朝鮮との統一は「大当たり(bonanza)」としたとき、彼女が使用した「大当たり」という言葉がちょっと不思議に感じられた。事実、その言葉は1930年代に満州が提供した経済的機会を説明するために頻繁に用いられた「一攫千金」の表現を現代風に直訳したものである。朴前大統領が1930年代の朝鮮と満州の政治経済的統合を考えてそのような言葉を使ったのではなかっただろうが、朝鮮と満州が統合された過程を通じて、多くの朝鮮の家が今日まで続く富を得た。その言葉は微妙ではあるが明確な響きがあったのであろう。おそらく彼女の無意識の中にそのような概念が内在していたようだ。
朴前大統領は、自分の父である朴正煕元大統領から政治と経済を学び、父が野心的な若者として経済ブームに乗って満州に行って権力を得たことに注目したのである。19世紀の多くのアメリカ人が「Go West」という致命的な誘惑に駆られたように、1930年代の朝鮮人たちも、1930年代の満州という広い土地に走って行った。今韓国人たちに北朝鮮の開発がどのように写っているのか、そして1930年代満州の開発がどのように人々の心を引き付けたのかを見ると、驚くほどに類似している。
しかし、今回だけはあの悲劇的な道をたどる必要はない。私たちには自分の道を探して、搾取や大規模な資本投資に依存しなくても、朝鮮半島と北東アジアの新しい開発モデルを作ることができる能力がある。
統一は市民運動でなければならない。それは、資本家の収益を気にせず、個人の可能性を完全に実現できるようにする人々の間の取引でなければならない。統一は、市民がビジョンを表現し、それを実現できるように、文化と表現を活性化させる文化的運動でなければならない。それは、朝鮮半島の至る所から集まった若者が力を結集し、自分の権利を強化することができる社会を創造する若者の運動でなければならない。統一は、社会問題、環境問題、その他のすべての人が共有する問題に集中すると共に、軍国主義と巨大な権力競争から脱した平和運動でなければならない。