kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

朝鮮半島の光と影(2)

エマニュエル ・パストリッチさんの書かれた「朝鮮半島の光と影」の続きです。↓

しかし、より深くて隠された秘密がる。これまで韓国は多くの「開発途上国」とは違い、近代化と発展を成し遂げ特別だと認められるためには、更なる消費を通じて成長し続け発展しなければならないという神話に洗脳されてきた。そのため、数代にわたって近代化が最優先順位として考えられてきた。しかし、化石燃料を消費し天然資源を浪費することが、生態系を破壊し子どもたちを苦しめているとしたら、その近代化というのは一体何であろうか。
北朝鮮には、かなり深刻な多くの課題があるが、気候変動に対処する解決策と言う面で見る時、韓国は北朝鮮の「低い消費」をベンチマーキングする必要がある。私の話が可笑しく、途方もない話にすら聞こえるかもしれない。
しかし気候変動によって滅亡の危機に晒されるとしたらの様な経済成長の数値に何の意味があると言うのだろう韓国で夜通し灯を灯す多くの電灯は、発展を象徴するのではなく我々の子どもたちが将来使うべき電力を奪う犯罪であり、闇に満ちた偽善的な光に他ならない。韓国政府は、化石燃料補助金支給を直ちに中断すべきである
考えてみよう。今より少し暗い夜を過ごしながら家族や友人たちと会話を楽しんだり、読書したり、手紙やエッセイを書いて森を歩いたりしながら過ごすことは出来ないのだろうか。日常生活の中で演劇や音楽公演をしながら無限に広がる深い意味を見出し、スピリチュアルな経験をすることも出来る。スマートフォンのジャングルとスターバックスという檻で使用するプラスチック製のコップを無くすことが出来るならば韓国の市民は遥かに豊かな生活を発見することが出来るはずだ。その様な生活の在り方に関するヒントは、しかすると反対に北朝鮮の暗闇の夜景社会から見出すことが出来るかもしれない
統一朝鮮半島の未来について考える時、近代的で発展したものだけが最高だという危険な考えから打破する必要がある。我々は、人になるという事が何を意味するのか自問するべきである。どのように意味があり充実した生活を送りながら社会に貢献することが出来るだろうか。
私は北朝鮮の住民が今より自由に生活し、今より栄養のある食べ物が食べられることを願っている。
しかし、一時市民たち経済的独立性を享受させた家族経営の店を潰しながら支配してきた韓国式コンビニでは、消費主義が染み付いた食べ物ばかりを供給するだろう。未来の子どもたちが享受すべき豊かさから奪い去ったものを消費して暮らすことが統一朝鮮半島の理想的な食卓の風景だと言えるのだろうか。
それと同時に私は、韓国の人々が分別なく消費するよう束縛し(世界中のほとんどの国家とは反対に)石炭の消費を増やすよう強調してきた見えない鎖から解放されることによって終わりなき競争を強制する残酷な文化によって友人や家族から疎外感を強く感じる現象が無くなることを願っている。
自由は、政治体制だけに留まった用語であってはならない。スマートフォンを所有するという自由を得た代わりに、スマートフォンなしに暮らせない物質の奴隷の様に転落したのが韓国人だ。韓国の市民たちが北朝鮮の人たちと比べて自由だと誰が言えるだろうか。
統一に向かう動きは、韓国と北朝鮮の全ての人々の自由に関するものでなければならない。北朝鮮の人々だけが質的な生活の自由を享受する資格があるとするならば、それはなんて不公平な事なのだろうか。