kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

朝鮮半島統一 その3

エマニュエル ・パストリッチさんの文章の続きです。ヤフーブログに投稿できる文字数が限られているため、連投お許しください。

これから私たちは、北朝鮮通して忘れていたに再び直面することになるであろう。北朝鮮2030個の石炭火力電所を建設すると、これは生態系の災害であると同時に、地球暖化を煽るものであり、すでに危なソウルの大状態を致命的なレベルまでにしてしまうであろう。北朝鮮が利益を追求するために新たに作る工場から出る汚染物質を適切に規制しない場合には、韓はそのような汚染から自由でないばかりでなく、韓の工場も北朝鮮の先例にってしまうことは明らかである。
 
北朝鮮のお粗末な賃金と粗末な環境保護既に汚染に苦しむ韓の中で急速にがってしまうことを忘れてはならない北朝鮮労働者がなどの労働者の利を全く享受できない場合には、韓企業はこのモデルに沿って、韓国内労働者を搾取することになる可能性が高い。つまり、私たちは、北朝鮮が市場を開放すれば、韓のように自由で、幸せで、豊かになるという根のない信っているが、現在の開モデルでは、韓人でさえ自由と幸福と富失っているのが実状である。あるいは、投資銀行や企業が現在構想している北朝鮮経済は、初めから北朝鮮の住民を支援するためのものではないのかも知れない。北朝鮮においても、モンゴルやベトナムの開で行ったように、ただ益を考えるだけで、人のための考慮は全くない計を構想しているかも知れない。
 
の集中は、統一の困難を解決するために私たちが考えるべき問題で、動の次に重要な問題である。世界的に少たちにだけ富が集中する現象が加しており、特に韓と中でこのような現象が目立つ。こ富の集中化はの支配を損ない、腐敗したメディアのパッケージの中にスーパーリッチの贅、浪費、華やかさに憧れて要する文化を創造してしまう主流メディアの論調によると、北朝鮮は貧しく、南北の経済に大きな格差が存在する。一般的な経済用語に基づいてみると、紛れもない事でもある。しかし、すでに韓に定着した北朝鮮の人の中には韓国生活における自己中心性、競、他人にする無心などに耐えられず、北に戻ることを希望する人もいる。北朝鮮を訪問する多くの韓人が商業化と競争する文化ではなく、芸術や操、執筆の目的自を大切にする文化に大きな感動を感じている。
 
より大きな問題がある。トマ・ピケティ(Thomas Piketty)が「21世紀の資本論Capital in the Twenty-First Century)」で明したように、少の手に、より多くの富が集中されるようになると、朝鮮半島の分は、貧しい北朝鮮と豊かに暮らす韓との間の分ではなく、韓北朝鮮の平凡な市民はより貧しくなり、ごく少の選ばれた者だけがスーパーリッチになるというになる可能性が大きい。現在、韓北朝鮮の間に存在する巨大な格差を否定しようとするものではない。ただ、富の集中による経済的歪みがはるかに深刻であることを指摘したい。
 
このような傾向は、朝鮮半島は現在、別の問題を解決しなければならず、現では北朝鮮漢江の奇跡」を再現する可能性がないことを示唆している。今後、物質的な展よりも会経済な正義より重要な問題になるであろう。
統一のための努力は、経済システムが一般人える影響についても、必ず意味のある回答を出すことができなければならない。現在の経済システムでは、全世界の貿易航路に沿って手頃な格の物品運送システムが奨励され、大企業だけが唯一合理的な金融を享受することができるために、地域経済脅かされている大韓民では開放経済の失敗で町のお店、町工場、町局、町のパン屋が廃業したのにスターバックスとコンビニ、フランチャイズベーカリー、他の大企業が進出した事業が繁した。大企業は安な金融を利用して年間続く損失に耐えことができ、結果的に家族が経営する中小企業を追い出す。ところが、このようなフランチャイズ業員は、長期雇用や適切な退職と健康保を保障されない。業員は、経営と金融の意思決定にどのような役割も果たすことができず、いている支店を所有する利もない。