kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

夏空

だんだん夏の空になってきて、ふわふわした夏の雲を観るのは毎回楽しいが、雷雨が増えてきたのが心配の種である。

 

雷も小さい頃は面白がっていたが、最近は苦手になった。

 

雷が近くで鳴ると、右往左往してカーテンを閉めて、耳栓までして怖がっている自分が情けない。

 

しかし、昔はこんなに雷雨や豪雨はなかったよなあと思う。

 

年々気候変動によって気温が高くなると、災害が増えるのは分かっていたつもりでも、自分でも気づくのが遅すぎたかもしれないと思う。

 

人間の生活の仕方に問題があるのだが、お菓子を買ってもビニール袋に入っていて、野菜を裸のまま買っても結局レジで薄いビニール袋に入れてくれたりするので、結果として石油の消費量は減っていないような気がする。

 

ビニールやプラスチックの使い捨ては、人間の心の欠乏感や寂しさをそのまま表しているように感じる。

 

野菜が潰れて汁が服や鞄につくのが嫌だからビニール袋を使うとか、手軽に安い飲み物を外で飲みたいからプラスチックカップのドリンクを買うとか、見てくれと便利さが人間の欲求の殆どを占めているのかと感じさせるほど、ビニール袋やプラスチックは馴染み深い消費物になっているのだ。

 

最近、26年使ってきたプラスチック製の引き出しつきの棚があっけなく壊れた。便箋などを沢山入れて、手紙を書くたびにそれを使ってきたのだが、引き出しのプラスチックに沢山のひびが入ってきていて、それが引っ張った瞬間にべりっと割れてしまった。

 

ドイツに引っ越して子供を育てている知人が、最近はなるべく天然繊維で作られた服のみを着るようにしているとSNSに書いていたのを思い出した。

 

そういえば、私も綿だけで服を縫う事に凝って、綿の生地を探しに日暮里まで行ったなあと思い出しもし、若い時の拘りや新鮮な感覚が一時期失われた事に対して、特に疑問も感じなかった自分が、一巡したようにも感じた。

 

先が無いかもしれないのが難ではあっても、少しずつ環境についてまた考える機会があったのは、ひとえに多くの良い人との出会いと、旅や活動を繰り返した功績なのだなと今は思う。