kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

訓示と悩み

訓示を人に教える人ほど悩みを抱えて、悩みに対する耐性がないかもしれないと最近思うようになった。

 

それが悪いと思う訳ではない。私自身、そういう所があるかもしれない。

 

だが、私たちは訓示という建前上の教えを必死に学ぼうとするが、ありのままの自分でいても良いという一番基本的な事を、訓示の影響によって受け入れてはならないと考えているのだとも感じる。

 

最近出た葉隠の本を買って読んでみたら、ビジネスにおいての人間関係に役立つという内容になっている。

 

みんな苦しい中仕事のストレスに耐えかねて、こういった本を読むのだろうか。それが今の出版業界においては重要なビジネスポイントなのかもしれない。

 

どんなに偉いように見える成功した人でも、限りなく孤独だったり、下心だけで近づいてくる人々が信用できなくて人間不信になったりという悩みがつきないだろう。

 

必要なのは、気を抜けば尊大になる自分という生き物を、客観的に見つめる「悩み」かもしれない。

 

その人の外側から来る物事に対しての悩みは悩みの大半を占めるかもしれないが、自分を見つめる悩みは永遠があるように私は感じる。

 

尽きる事のない永遠の悩みが、解消されないからこそその人の人間性を豊かにしていくと感じるのは私だけだろうか。