kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

眠りを撃て

早朝に悪夢を観て目が覚めた。

 

夢の内容はこうだ。私はネズミやモルモットが好きなのだが、二十日ネズミが増え過ぎて、ブチブチと手で二十日ネズミの子供を潰して殺している。モルモットも一匹、ぐったりして死んでしまっている。

 

二十日ネズミの子供を手で潰していたら、唐突にツグミが現れて、嘴で小鼠の頭を刺して、脳みそを啄んでいる。私の手にも嘴を突き立て、血が出て、そこで我慢できずに目が覚めた。

 

我慢出来なかったというのは不思議だ。

 

幼い頃から私は不眠症で寝付きが悪く、起きるのも未だに大変である。

 

だから、寝る事も起きる事も私にはコントロールができず、それは唐突に降ってくるにわか雨のようなものなのだ。

 

眠りにつくタイミングがわからないので、不眠が酷い夜は寝る事がお祭りの射的ゲームのようになる。

 

羊の数なんて飽きるほど数えて朝を迎える事も沢山あったし、コーヒーやお茶を控えてもどうにもならない。

 

白夜はまだ経験した事がないが、眠れない夜は頭がすかーんと真っ白になり、それが眩しいような感じになる。

 

意識が飛びそうになりながらもまだ意識があって眠れない、眠りと覚醒の間の旅には慣れようがないから、変な状態になる。

 

鬱っぽくなる事もあれば、反対に躁状態になる場合もある。

 

睡眠が足りているかいないかで人格が変わってしまうので、何が本当の自分の姿なのか、よくわからない。

 

一つ言えるのは、私がもっと自分の姿が受け入れられて、何かに没頭できるようになったら、少し悩みが減って、寝られない事があってもあまり気にしなくなるかもしれないという事だ。

 

格差が広がって、社会の底辺のあたりを這い回って生きている私にとって、競争の中で勝とうとするストレスが、もろに不眠症に現れてしまう。

 

もしかしたらまだ、社会と自分との折り合いがつかないまま生きているのかもしれないが、むしろ狂った社会との折り合いがつく方が心の闇は深くなるのかもと思ってしまう事もある。

 

沢山買い物ができて、社会的地位があって、美味しいものを沢山食べられる事が勝ち組のように考えられていて、子供の頃からそうなる事が幸せだと思い込まされ、競争させられる。周りと同じでなくてはいけないが、その中で競争させる教育のシステムが、どんな素晴らしい今を作ってきたのだろうか。

 

自分の眠りの的も撃ち抜かないと明日が大変だが、社会の半分眠った状態も大変だと感じている。