kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

春の憂鬱

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10年来の友達とメールのやり取りをしていたら、彼女は悶々としながらも元気だという。

 

私も悶々としてるよ〜、と返事をしたら、ちょっと驚いていたらしい。

 

春になったのに憂鬱なのには訳があるように感じた。

 

良い陽気でも出かけられず、何もできないのが苦しいのかもしれない。散歩とか、近場の用事なら出かけられるのだが。

 

色々なお店や飲食店が潰れて、看板などを片付ける余裕もなく廃墟になっているところもある。なんだか寂れた風景になったなあと思うが、辞めるきっかけが見つかったから思い切って辞めたのだという意見も身内からあった。

 

以前一緒に飲食店で働いていた同僚の女性は、去年から始まったコロナの流行で、そこをクビになったと言っていた。私は具合が悪くなって、コロナの流行前にそこを辞めていたのだが、呆気ないものだなと話を聞いて思った。

 

戦争が形を変えてコロナ禍という形を取ったのかと話している友人もいた。

 

思うのは、距離が遠くなって人に会えなくなった分、よく知人や友人と話すようになったという事だ。

 

疎遠になったように見えて、近くなった関係。

 

春の憂鬱はなんとなく、出かけられない、誰にも会えないという蟠りから来てもいるように思えるが、実は前よりも話すようになったという利点もある。

 

独りだけど独りぼっちではないのは、救いかもしれない。