kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

現代の徴用工


東京オリンピックを開催する見込みがあるとしたい時は、コロナウィルスの一日の新規感染者数がぐっと少なくなるので、報道というものは如何様にでも操作できるものだなあと感心しながらニュースを観ている。

 


圧力に抗いながら苦しんで報道しようとしているジャーナリストもいるのに、彼らに冷や飯を食べさせる事が政府の目論見のようだ。

 


女性差別発言問題とオリンピック開催の可否は本来別物に思えるが、それらを絡めているあたりが非常に怪しい。オリンピックどころではない国民の生活や気持ちなどまるで眼中にない。

 


私たちはもっと国民の生活を考えて政治をしてほしいと願っているのだが、オリンピック開催となると、本音や疑問を口にするのは良くないと思ってオリンピックを開催する事に対する意見ははっきり言わなくなってしまうし、コロナウィルス撲滅の大義名分のためなら個人の人権が侵害されても文句を言ってはいけないと思いこんでしまう。

 


仕事があっても勤務日数を減らされる人も多く、収入が少ないのでギグワーカーになって、事故に遭いやすいウーバーイーツや単発のアルバイトをしたりする。

 


戦争も一度始めるとなかなか辞められないものであるが、オリンピックも開催すると宣言するとなかなか中止にはできない。

 


本来、たった3週間のイベントのために使えるお金があるなら、貧しい人や災害で被災した人に回すべきと考えている人は多いが、なかなかそれをおおっぴらに言えないのである。

 


世界的に不景気と気候変動による災害、コロナという厄介な病気による社会の監視化が広まってきているが、実際のところ、この状況を冷静に見られる人は殆どいないのかもしれない。

 


オリンピックが開催されるとなると、企業や大学から狩り集められた数多くのボランティアが無給で働かされる事になる。医療スタッフまでボランティアでまかなうというのだ。この医療崩壊が始まっている時に、それはないのではと思う。

 


先日、親の通院に付き添いで行ったら、病院の廊下を輸血しながら歩いている患者を観てびっくりした。待合室で具合が悪くなった人が、病院のスタッフに横になれないか聞いていたが、断られた。

 


病院も余裕がなくて、そういう状況なのだ。

 


韓国の裁判所が徴用工の人達に関する裁判で日本に賠償を命じたニュースをふと思い出した。

 


オリンピックのボランティアにしても、ギグワーカーにしても、働く人はみんな現代の徴用工と言える。

 


もちろん、戦争中に徴用工にさせられ

た人々はもっと酷い目に遭い、みんな日常的に暴力を振るわれ、自由もなくて、想像するだけで恐ろしい環境にいた訳だが。

 


しかし、こんな状況下でもまだオリンピックと騒いでいるのが、変な印象を受ける。