kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

メールの文章より

少し前の話ですが、昨年のクリスマスイブに知り合いの方にメールを送りました。その際に書いた私のメールの文章を、許可を戴いてブログにアップします。ぼちぼち更新していきます。今年も皆さま、宜しくお願い致します。

 

以下、メールより

 

 

 

 

Jさま

 


こんばんは。あっという間に2020年も終わりに差し掛かっていますね。

 


お変わりなくお過ごしでしょうか?

 


今日は本当は、東京の診療内科に通院する予定でしたが、コロナ感染者が激増しているので、処方箋だけ郵送してもらい、買い物以外は自宅にいました。

 


田舎ですが、街に出ると買い物袋を手に持った人々が歩いていたり、ケーキ屋に行列ができていたり、苦しい世の中ですがみんなそれぞれクリスマスイブを楽しもうと頑張っているようでした。

 


私が子供だった頃の華やかなクリスマスを思い出しました。

 


最近まであまりエネルギーがなくて、音楽を聴くのもしんどいような状態が何年も続いていましたが、ちょっと辛い出来事があり、その時から不思議な事に少し音楽を聴く事ができるようになりました。

 


辛さというものは、元々心にあったひび割れや傷にようやく気づいて感じられるような種類のものもあり、どういう事件を経験したから辛いとかいうものよりも、その経験をした結果、自分の不完全さや至らなさに気がつくというような不思議なものでした。音楽がその心のひび割れの中に浸透して、少しだけ埋めてくれるような、そんな感じです。

 


緑内障の治療をしている母が、今日行った近くの病院の逼迫した状態について話していました。待合室の暖房が切られて寒く、手術を受ける別の患者さんは必要のなさそうな検査を6つも7つも受けさせられ、眼圧を測る機械は患者が変わっても消毒されず、病院もコロナのために経営難に陥って、医療が崩壊しかけているのでは、という話でした。

 


また、マスクをしていない人が病院の入り口に来た時には、検温をする機械が「マスクをつけてください」と命令するようになり、機械に支配されて自由がなくなっていくような印象を受けたそうです。

 


私は、歳を取り不自由になっていく両親を観ていて、前にJさんに「これからの人生の生き甲斐を親孝行にされたらいかがでしょうか?」と言われた事を思いだしながら生活しています。

 


コロナは私達の生活を大きく変えてしまいましたが、同時に私達の築いてきた社会の不備を現していて、大義名分の名のもとに人々の権利を奪っていくような面も感じさせます。

 


昔のように音楽のコンサートに行ったりイベントに参加することもなくなり、そんな中に迎えた年の瀬ですが、過去の思い出がきらきらと輝いているような感覚になりました。

 


実家の物置のような私の部屋を片付けて、古いミシンの台をテーブルにし、椅子を購入してパソコンを置き、YouTubeで音楽を聴きながらのんびりする事ができるようにしました。

 


昔はこの街を嫌い、自分の部屋も狭いと言って嫌いましたが、今は4畳半くらいでも充分楽しめて寛げるのだなあと思っています。これも私が歳を重ねた結果得られた事なのかもしれません。

 


長々と私事を書いてしまいましたが、しばらく連絡していなかった友達を気にかけていました。

 


Jさんがお元気でしたら、何よりです。

 


寒いですが、お身体に気をつけてお過ごし下さい。

 


良いクリスマスイブを。