kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

物忘れ

10年くらい前は、人から「物覚えがいいね」とよく言われた。当時付き合っていた男性は自分が言った事をコロコロ忘れていたので、私が彼が言った事に対して後から文句を言っても、彼は身に覚えがなくてぽかーんとしている事が多かった。

 


嫌な事はすぐに忘れてしまった方が幸せなのだが、嫌な事をとりわけよく覚えているので、人とのトラブルも多かった。

 


買い物に出かけて、ちょっと珍しい塩をカゴに入れたが、後からカゴを観て、自分でこれは紅茶なのだろうか、何故カゴに入れたのだろうかと考えてしまうほど、物忘れが激しくなった今では、昔は物覚えが良かったなんて信じられない事である。

 


個人の物覚えについても問題なのだが、ニュースを見聞きして、メディアや政府のいう事が二転三転しても、みんなちょっと前に不自然さを感じた事もころっと忘れているような気がする時がある。

 


忘れるというのは、そもそも集中力がなかったりして印象があまり頭に残らないとかいうだけではなく、感情が湧かない無感覚の時にも起こる事だし、そもそも忙しすぎれば少し前の事は忘れてしまっても不思議ではない。

 


それだけ私たちは色々な情報や生活に追い立てられて生きているとも言える。

 


私の物忘れは単なる頭の悪さかもしれないが、目まぐるしく変化していく状況は誰の目から観ても異様だろう。

 


何か忘れている、前にこれに関連したニュースを見た時の感覚が思い出せない、と焦る毎日だが、記憶力の良さを当たり前の事と思っていた昔の自分は青かった、今も青いと考える感覚は、ずっと変わっていない。歳だけは確実に取っているのだが。

 


髪を久しぶりに切りに行き、美容師さんと色々な話をしているうちに、それまで憂鬱だった気持ちが少し晴れた。

 


最近は落ち込む事が多くて、気持ちが晴れる感覚をまた忘れていたので、ちょっと嬉しかった。

 


自分がその時浸っている感覚は、それが世界の全てだと思わせてしまう何かがある。

 


私もずっとこの感覚だったし、他人もそうでなくてはおかしいと、容易に考えてしまうのだ。

 


落ち込む時は落ち込む時なりに、鬱病で苦しむ家族を労れるようになるから良いのだが、自分が楽観的で陽気な時はなんでこんなに家族は怒りっぽいのだろうと考えてしまう。

 


恐ろしい速さで感覚を忘れてしまうのが人間かもしれないが、自分にとって今当たり前の事は、ずっと当たり前ではないのだと今日は考えてしまったのだった。