kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

祠のお供え物

夢を見た。母の実家のある地方へ帰省する。実際にはないローカル線だ。大量の荷物を持って乗り込むと、戦前の車内のようになっていて、車掌が石油ストーブを管理していて、皆、無造作に座っている。

 

あまりにも私の手荷物の数が多いので、携帯電話を無くしてしまい、慌てて探していた。

 

その慌てていた最中に、周りの乗客が窓から見える景色が綺麗だと騒ぎはじめた。コロナなんてない事になっているから、みんなマスクもしていない。

 

窓から外を見た。赤色とオレンジ色の花びらをつけた、大きな牡丹の花が沢山咲き乱れていた。あっと息を呑むほど美しい。

 

電車を降りて、荷物がなくなっていたので、駅で探してもらおうとしていたら、杖をついた、2年前に寝たきり状態で亡くなったはずの祖母が歩いてきた。「おばあちゃん!」と声をかけたら、くるりと私の方を振り返って、「あら、あんた、来てたの?」と言う。懐かしさと同時にあれだけかわいがって貰った祖母がもういないという現実を、頭の片隅で(夢の中でも)感じていた。

 

起きてから母にその話をしたら、「いい夢だね」と言った。祖母が亡くなった知らせを叔父から電話で聞いたとき、テレビでイツァーク・パールマンが「シンドラーのリスト」の曲を弾いていた。ヴァイオリンが奏でるもの悲しい旋律に、祖母が亡くなったというショックが重なって、母と二人でぼろぼろ泣いたのを記憶している。

 

処方箋の期限が迫っていたので、薬局に薬を買いに行ったのだが、桜の花が咲き始めて桜にメジロが群がっていた。

 

近くに小さな神社があるので、丘を登って祠を見てみた。初めて祠のある丘の頂上まで登ったのだが、お供え物がたくさん置いてあって、そこが地域にとって大切な神社だとわかった。大きなボンタンやワンカップの日本酒などが供えられていたので、その話を家族にしていたら、父が「窃盗は良くないが、昔からお供え物って言うのは貧しくて食うのに困っている人のためにもあるんだろうな。その意味もあって、考えて供えているんじゃないか?」と言った。

 

このコロナによる不況は、いろいろな人を苦しめていると思うが、祠のお供え物を見たときに、私も何か供えた方がいいのではと考えたことを思い出した。

 

世の中に救済制度が整っていないのであれば、誰かが何かをしなくては助からない命がある。

 

ふと、寝たきりではあったが病院の日当たりが良い部屋で息を引き取った祖母の人生について考えてしまった。苦しくても、暖かい部屋で天寿を全うできたことは幸せだったのだろうし、そう願いたい。