kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

11月になった

昼過ぎにコンビニに行こうとしたら、母が「私も行く」と言ってついてきた。

 


仕事の面接の結果は今日わかるのだけど、結局ダメでちょっとホッとした。

 


物忘れが激しかったり、ボーっとしていて人の話を聴いていない事も多くて自信なかったし、定期券を立て替えて購入するのも大変だったから。

 


単発の仕事を探そうと思いながら、母と一緒に古本屋へ行ったり、コンビニで飲み食いするものを買って、公園に行って食べたりした。

 


こんな事ができるのも、親が元気な今のうちなんだろう。

 


やたらクドクドと長話をする父も、構ってほしいらしくて、甘えてきたり雑誌の表紙に山本太郎が載っているとわざわざ部屋まで来て言ってきたりする。

 


不甲斐ない娘で悪いなあと思いながら、私が産まれてこなかったらこの人達はどうやって生きて歳をとって行ったのだろうと感じた。

 


それはそれで、充実した人生なんじゃなかろうか。

 


短気なように見えて手のかからない姉と、いつまでも手のかかる私。

 


姉と一緒に遊んでいた頃に使ったおもちゃや、姉と遊びたいがために一心不乱になって作ったミニチュアの食べ物を観ていて、考えこんでしまった。

 

11月になったというのに、暖かい陽気の一日だったので、温暖化は怖いと言っていたら、父が長い目で観たら地球は寒冷化に進んでいて、今の暑さはたまたまそうなっているだけかもしれないと言い始めた。

 

理屈は理屈で意味のある事なのかもしれない。ただ、私たち大人はずーっと理屈だけ話している。

 

母とピクニックしていた時、二人の男の子が公園に来て、私たちがいるのでベンチに遊びに来るのを遠慮していた。

 

「あの子たち、私達がいるからここに来にくいのかもしれないね。そろそろ帰ろうか。」と母と相談してベンチから立ち上がったら、案の定子供達はやってきた。

 

「こんにちは。」と挨拶すると、「こんちは。」と挨拶し返してくる。

 

去り際に、男の子の一人が、「ねえ、黒い鍵を見たら、教えてください」と言ってきた。「無くしちゃったの?」と聴くと、人懐こく「うん、自転車の、鍵」と答えた。「気をつけて見ておくね」と母が言い、彼らが最初にじゃれあっていた草むらに行くと、彼らがちぎって捨てたマスクが落ちていた。

 

マスクを拾ってゴミ袋に入れながら、私は無邪気な彼らからもエネルギーを貰った事に気がついた。