kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

日銭稼ぎのストレス

今月は主に大手町で働いている。

OLさん達がみんなオシャレである。

ポーっとしながら、オシャレな彼女達を観察している。

これが表参道とか銀座とかだと、「これはやりすぎだろ!」とツッコミ入れたくなるほど派手な人もいるのだけど、大手町はオフィス街だけあって、みんなシックで上品な雰囲気にまとめている。

今の職場は制服に着替えて仕事するので、通勤の時は好きな服(と言っても下は黒いパンツと黒い靴しか履けないのだけど)を着て、彼女達に習ってちょっとオシャレしてみている。

しかし、最近、ストレスと放射能の影響で、まだ30代なのに白髪が出てきてしまっている。あんまり目立つようになってきたら、染めるしかないのだろうか。それもナチュラルじゃなくてイヤなんですが。

2歳半歳上の姉は、仕事も辞めてストレスフリーで、旦那さんも尻に敷けるので、白髪もほとんど無くブイブイと優雅なマダム生活を満喫している。

否が応でも人は老いていくけれど、過去の自分のやっていた事はやはり赤っ恥である。白髪がない時期に戻りたいかと言われると、白髪はイヤだけどまた青い青春時代に戻りたいとは到底思えない。

ついこの間、2年ほど前に自分が書いた文章を見直していたが、恥ずかしくてとても今はまともに読めない。時代を感じる文章である。

歯に絹着せぬ物言いをする母が、「物書きって恥知らずなんじゃないの?」と言っていた。

本人は自分が言った事をコロコロと忘れる名人だ。

私も最近、もの忘れが激しい。

全国の裁判所で、憲法裁判に関する資料が廃棄されていたが、こういうものがなくなって、過去の検証ができなくなるのは戦争への道になるであろう。

書いた人間は、後から自分が書いた文章を読んで「あー、私、こんな事を考えて書いていたんだ。」と赤面するのだろうが、ある意味資料を残す、自分の書いたものを残すって大事な行為だろう。

人にはその時感じた事を言葉にする能力があり、また過去の自分を振り返ってその時の想いを反芻し、より深く解釈したり、反省したりする能力がある。

思うのは、昨日の8月6日の広島平和式典に関する報道が少なかった事だ。

あっても、あまり大きく取り扱われていなかった。

戦争を実際に体験した世代が亡くなっていき、戦争を知らない世代が粋がって国防を語る。

人々はスマートフォンの画面に釘付けになり、だんだん戦争の準備に走るメディアの報道をするっと飲み込んでしまう。

「暑いですね」を挨拶代わりにしながら、気候変動について懸念する人を奇異な目で見る。

大手町のオフィス街には、愛想の良いお客さんが多いが、彼らのうちの何割が今の危機に気づいているだろうか。

オシャレでセンス良く、愛想も良く、人間として魅力ある彼らには、住みよい世界を残す力があると思うのだが。

色々な企業が、お金儲けではなく真の平和や環境保全のために人を働かせてくれるなら、彼らも喜んで真面目に仕事するだろう。

そういう仕事をして白髪が出て老けていくなら、良い歳の取り方をしていると自分でも思えるが、今の仕事はひたすらビニールゴミを増やす仕事なので、そのストレスで白髪が増えるのは本当に割に合わないのである。

今の日本の日銭稼ぎってこういう事だ。