kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

嘘の価値

塚田国土交通副大臣の「私が忖度した」という発言が事実であったかなかったかを巡って国会で攻防戦が繰り広げられているが、大人の世界では嘘が価値のある事として通用してしまっているのが今の世の中である。

美容外科の広告や化粧品の宣伝などを見ていてもわかるが、消費者の不安を煽る事でビジネスをする手法は、もう定着してしまったかのように見える。

特に日本の女性は男性の望む理想の女性のイメージを守るように動く事が多いようにも思う。

内面が評価されていれば美容整形をする必要もないし、化粧品も高いものを使う必要がないとわかるだろうが、自らを痛めつけるかのような日本女性の出費の数々はなんだか脅迫的でもあるし、ありのままの自分を受け入れていては「負け組」になってしまうかのように思い込むのは男性もそうなのかもしれない。

ありとあらゆる人生の成功法やビジネス書が世に出回る割には、核戦争の脅威や気候変動の脅威に関心を向けるメディアは少なく、多くの人が本質的な問題を見ないまま、今日もスマートフォンの画面だけを見ている光景は日本だけでなく世界的に見られる事なのだろうとは思うが、それにしても日本にいると政治的な事や環境問題について発言するのは「タブー」のように感じられてしまう。

Facebookでは社会問題に関心のある友達ばかりと繋がっているから、毎日のように政治的な話題やニュースには触れているしみんな発言する。

しかし、派遣の仕事で職場のスーパーの休憩所に行くと、そこではテレビがいつもついていて、ウケを狙う芸人のオーバーなアクションや、改憲を狙う日本政府が韓国との関係が悪化しているように吹聴するニュース番組を食い入るように見つめる職場の仲間たちがいて、彼らを非難したい訳ではないが多くの日本人が真実を見ようとしていない事が感じられる。

メディアは嘘をつく事に価値を見出している。安倍総理や麻生大臣に忖度をしたと発言した塚田国土交通副大臣の正直さはある意味ありがたいのだが、それすらも適当で権力側の都合のために真実ではないと訂正する事が、今の日本の国民の多くにどれほどの疑念をもたらすのかが気になるところだ。

既にあそこまで発言した内容を訂正する事そのものが信憑性に乏しいはずなのだが、ちょうど良いタイミングでカルロス・ゴーン氏が再逮捕されたり、覚せい剤を使っていたピエール瀧氏が釈放されたりしているのを観ると、人々は真実を追求するよりも先にそちらのニュースに飛びついてしまうのではないか、と思ってしまう。

権力側は真実と嘘を巧妙に織り交ぜて、人々を利用しようとする。

これはいつの時代でも同じ事であるからこそ、個人の真実を見極める目が重要になってくるのだろうが、真実に価値を見出す人には失うことを恐れない気持ちがあるように思う。

誰でも楽しいことだけを考えて自分の身に災難が降りかからないように思考を停止させることの方が、真実を追求するよりも楽で良い人生だと思えるのかもしれないが、徐々に言いたいことが言えなくなってきて、暴力的な右翼勢力が闊歩する世の中になってきているのは、ファシズムの到来である。

考えることを辞めてしまう多くの人々には、嘘であろうと何であろうと脳に快楽の刺激を与えてくれる企業の広告やメディアの報道は信じていれば楽しい。

太平洋戦争が始まった事を新聞で知った若い男女が、顔に微笑みすら浮かべていた写真を見たことがあるが、近い将来に同じような状況が起きそうな世の中の雰囲気に、不安を覚えている。