kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

電車

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電車に乗る事も滅多にないので、電車に乗る夢を見た時にはちょっとワクワクした。

 

けれども、夢の中で乗った電車は、なんだか昭和初期の電車の中みたいで、木の床に車掌が立って、何故かストーブがあった。

 

今の電車はとてもモダンである。広告も電子パネルになったり、どんどん無駄がなくなってきている。

 

紙の広告が電子パネルになってから、どれだけ人の仕事が減ったのだろうと思った。

 

昔は切符も車掌がパンチで切っていたのに、いつのまにかICカード化されている。

 

何でも便利になるだけが良い事じゃないよ、と夢に諭されたのかもしれない。

 

心と人生

人は能力でもなければ学歴でもなく、家柄の良さでもなく、心でもって評価されるものだと思う事があった。

 


とかく私たちは他人と自分とを比較して相手を羨んだり嫉んだり、自己否定したがる傾向があるのだが、落ち込んで鬱っぽくなっている時は特にそうなりやすい。

 


昨日は落ち込んでいて母に愚痴ばかり言っていたら、「あんた、普段と違って足る事を知らないっていうか、ないものねだりになっていておかしいよ」と釘を刺された。

 


反省するばかりだったが、単純に目の前しか観ていない虫や鳥を観察していると、人間って虚しい悩みに囚われているからこそ人間らしいのだなあと思う。

 


もっと素直な心を表現して、欲があるにせよいつの間にか何がしたかったかもけろっと忘れられるほど単純になれないものだろうか、とつくづく思う。

 


悪い方向に考えていけばとことん悪い状況に陥るものだが、心が人生を創り、世の中が人の心の鏡になっているようにも思う。

 


お金だけを目的に競争に勝てば、人間は幸せになれると盛んに宣伝をしているが、お金だけが人間が幸せになる条件だと思い込んで不幸になっている人は沢山いる。

 


お金がなくて生活が苦しくて不幸を感じる人も沢山いて、彼らが世の中の大半を占めるとしても、心の暖かさでもって不幸でも幸せという人生を送る人もいる。

 


人の幸不幸は客観性でもってのみ語れる事でもなければ主観でもよく理解できない、全く雲のように掴み所のない概念だが、苦しくて幸せ、幸せだけど苦しいという相反する両価は、人の性質や人生そのものを複雑に、色鮮やかに彩っているのである。

 


病的で落ち込んでいる時ほどその人の本質が現れやすいと前に医師に言われて、その言葉に感銘を受けながら痛いものを感じた。

 


心を抉るような図星の指摘というものは、考え方や生き方にも影響を与えるもので、その指摘もそうだった。

 


明るく、悩みがないように見える前向きな人ほど、人に言えない深い傷を負って生きていたりして、ポジティブという言葉の裏には人生の傷が隠されているのだと強く感じる。

 


悲しい、悲しいと思いながらやけ食いをする余裕があるうちはまだ幸せでもあるし、絶望感に苛まれて本当に困窮している時に何くそと思って生きる場合もある。

 


その両方を経験したことがありながら、喉元過ぎれば熱さを忘れる自分が恨めしい。もっとも、先程、文章の中で何をやりたかったのかすら忘れる単純さも欲しいと書いたのだが、痛みに関してはなんだか別の思いが湧いてくる。

 


自分がもっと好条件に生まれついていたら、とつい考えてしまうのだが、これは本人にはどうしようもない。

 


頭で受け入れられなくても受け入れざるを得ない。

 


好きで私を生きている訳ではないが、私を生きざるを得ないから私を生きているのである。

 


これが、みんなが自分に対して不甲斐ない感覚を覚える所以なのだろうか。

 


もっと苦しんで生活をしている人たちに対して、暖かい世の中になってくれたらと思うが、みんな自分が下駄を履かせてもらって生きている場合には、自分の足元が見えないのかもしれない。

 


競争による格差が、ここまで人を悪魔にしてしまうと、心というものは幸せよりも捉え所のない、不可思議なものになってしまうのかもしれない。

 


そんな中でも、愛ある心を見つけて忘れない人たちにエールを送りたい。

 

 

 

夢の覚え描き

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夢の中で観た景色が忘れられず、記憶に留めようかと絵を描き始めた。

 


なかなか集中できなくて、ゆっくりゆっくり描いているが、最初にぎこちなく描いた花の絵の方が、後から慣れてきてさっさと描いた花の絵よりも気に入っている。

 


慣れというのは早くこなせるのだけど、要領を得ていない最初の挑戦の痕跡は、無骨で荒削りな仕上がりが良い点もある、とよく思う。

 


新しい事に挑戦するのは、失敗の連続だから、だから良いのだと。

 

 

観る楽しみ 知る悲しみ

美術館やギャラリーに殆ど足を運ばないので、もっぱらネットでアート作品を観ているが、なかなかみんなウィットの効いた作品を作っている。

 


観る事はエネルギーがないと楽しめないのだが、新しいアート作品を観てあれこれ考えるのは楽しい。

 


アート作品に限らず新しいものを観るのは楽しいのだが、新しいものについて知るとふと、寂しさのようなものも感じる。

 


これについて知らなかったら私はどう生きていたのだろう、とつい思ってしまう。

 


自分が今の生き方をしていなかったらどうだったのだろう、あの時あの経験をしていなかったらどうだったのだろうと考えてしまうのは、人間の性なのだろう。

 


経験する事で無駄なものは何もないと思うが、自分でも嫌な事ほどよく覚えていたりするので、マイナスのエネルギーはプラスのエネルギーよりも強いなあとつくづく感じてしまう。

 


しかし、楽しい経験も時々思い出す。10年以上前に知人達の集まりに呼ばれて、持っていったパンが喜ばれた事や、その時盛り上がって楽しかった事、一人暮らしをしていて、好きな洋裁ばかりしていた事など、今となっては夢のような記憶である。

 


知る事によって寂しさを感じると書いたが、知る事は人にとってどういう意味があるのだろうか。今は小さな街であまり外出もせず、友達にも会わないで生活しているので、刺激になるような事は殆どない中で、目まぐるしく変化してきたここ数年は忘れていた感覚を再発見している。

 


春が近づいて芽吹いてきた野花を観ると、昔は摘んでいたのが、最近では写真をよく撮っている。

 


新しい形で草木に触れて、今まで何年も忘れていたそれらへの愛着がまた芽生えたのかと自分自身に少し驚いている。

 


草木の存在をほぼ忘れて生活していた頃は、物を買うとか、作ると言った、人間の欲求らしい欲求に支配されていたように思う。

 


知る事の寂しさは、自分の人生を振り返る寂しさとほぼイコールなのかもしれない。

 


自分の目が見える事を前提として話をするのは烏滸がましいが、観る楽しみは同時に知る悲しみを一緒に感じるのだ。

 

 

 

 

10年という歳月の中で

東日本大震災による原発事故を経験し、私はそれまで社会や報道に対して何の疑問も抱かず楽観的だったのが、一変した。

 


今は水道水も飲み、魚介類を食べる事もあるが、原発事故の後は食べるものに対しても非常に神経質だった。

 


2011年の3月18日には住んでいた東京を離れて岡山にいたが、身を寄せた親戚の話によると、もう東電の幹部は関東から岡山に避難してきていたとの話だ。あの時は、自主避難する人はものすごく白い目で見られた。

 


放射能の影響はないと報道されているから何の害もないのだ、と信じたがる人は多かったが、報道の内容を信じないで避難する人は放射脳と呼ばれて、村八分に遭った。

 


今も、福島から他県に避難した人達に対する差別がある。避難してきた人達は病院に来ても受付の順番を守らない、など、あるとしてもごく一部の人に対するイメージが福島からの避難者全員に当てはまるかのような言い方をする人も身近にいて、偏見があると思う。

 


あれ以来、世の中は変わったと感じる。格差も非常に広がり、人々は他者に対して冷たくなった。

 


みんな余裕があれば、もう少し違う考え方をするかもしれない。

 


もっと社会に余裕があった時は、電車の中などで具合が悪くなった人がいても助けようとする人達がいたが、最近ではみんな具合が悪くなった人を見ても敢えて知らん顔をしている。

 


ブラジルのリオデジャネイロオリンピックの後、ブラジルは財政破綻してしまい、オペラハウスの職員やダンサーに給料が出なくなったというドキュメンタリーをこの間観た。直接、オリンピックが原因で財政破綻したとはそのドキュメンタリーの中では言及していなかったが、2017年には国民は疲弊し、若い人には麻薬の売買しか仕事がない様子が映し出されていた。

 


去年から延期されてきた東京オリンピックは、海外メディアから、福島を忘れるためのオリンピックとも揶揄されてきている。

 


未だに復興五輪と銘打っているが、仮設住宅からオリンピックの応援をしろと言わんばかりである。

 


人々は福島の原発事故を終わったと考えている訳ではないと思う。世論調査では原発は維持すべきではないと言う人のパーセンテージが上がっている。

 


だが、あまりにも大きな問題、真実を目にすると、脳が思考を止めてしまうのか、問題を解決しようとするよりは美味しい食べ物や可愛いペットの写真などに夢中になる人が多い。

 


問題が大きすぎて、思考を停止してしまうのである。

 


言いづらい事ではあるが、最近では環境問題に取り組む事を新たなビジネスにしている企業や、メディアの報道が目立つようにも思う。

 


本当に環境問題、原発の問題に真剣に取り組むなら、資本主義のシステムや人の思想の根本的な問題にも言及し、社会そのものを底から覆すような取り組みが必要になってくるので、それは避けて、あくまでも偽札作りのようなお金儲けを考えて動いているのである。

 


原発の問題はやはり企業のお金儲けのシステムに利用されたエネルギーの売買の問題である。

 


私たちは自家発電をするには国からの金銭的援助を受けられず、未だにエネルギーは企業から買うというシステムに慣れきって生活している。

 


太陽光発電などに対する問題点は確かにあるが、原発のそれとは比較される事もなく取り沙汰され、なんとなく意識するエコエネルギーに対する拒否感というものが社会に蔓延している。

 


もっと質素で慎ましい暮らし方を目指していくのは、今の社会にとっては難しいのかもしれないが、福島の原発事故は、人にとってお金が全てではないと強く教えてくれる出来事である。

 


実際に見聞きした出来事に対して感じた事を判断する能力が落ちているように自分でも思う。テレビのニュースやネットの配信記事という形になっていなければ、情報として捉える事ができないのだ。

 


少なくとも、10年前の危機感というものは、自分の肌で感じた恐怖であった訳だが、周りの人に合わせて社会で生活するために、そういう感覚を麻痺させなくてはならなかったこの10年は、私にとって色々考えさせられる歳月でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福島原発事故から10年

福島原発事故から10年、今何を思うか」

 

The Asia Instituteのセミナーに参加した映像をyou tubeにアップしました。

 

英語もできないし想像以上に自分の声が低くて聞き取りにくく、自分に幻滅中ですが…興味ある方はどうぞご覧ください。

 

In Japanese


 


https://www.youtube.com/watch? v=GyFm_Jx8hL0


 


 


In English


 


https://www.youtube.com/watch? v=LWbg4AkyqDU

祠のお供え物

夢を見た。母の実家のある地方へ帰省する。実際にはないローカル線だ。大量の荷物を持って乗り込むと、戦前の車内のようになっていて、車掌が石油ストーブを管理していて、皆、無造作に座っている。

 

あまりにも私の手荷物の数が多いので、携帯電話を無くしてしまい、慌てて探していた。

 

その慌てていた最中に、周りの乗客が窓から見える景色が綺麗だと騒ぎはじめた。コロナなんてない事になっているから、みんなマスクもしていない。

 

窓から外を見た。赤色とオレンジ色の花びらをつけた、大きな牡丹の花が沢山咲き乱れていた。あっと息を呑むほど美しい。

 

電車を降りて、荷物がなくなっていたので、駅で探してもらおうとしていたら、杖をついた、2年前に寝たきり状態で亡くなったはずの祖母が歩いてきた。「おばあちゃん!」と声をかけたら、くるりと私の方を振り返って、「あら、あんた、来てたの?」と言う。懐かしさと同時にあれだけかわいがって貰った祖母がもういないという現実を、頭の片隅で(夢の中でも)感じていた。

 

起きてから母にその話をしたら、「いい夢だね」と言った。祖母が亡くなった知らせを叔父から電話で聞いたとき、テレビでイツァーク・パールマンが「シンドラーのリスト」の曲を弾いていた。ヴァイオリンが奏でるもの悲しい旋律に、祖母が亡くなったというショックが重なって、母と二人でぼろぼろ泣いたのを記憶している。

 

処方箋の期限が迫っていたので、薬局に薬を買いに行ったのだが、桜の花が咲き始めて桜にメジロが群がっていた。

 

近くに小さな神社があるので、丘を登って祠を見てみた。初めて祠のある丘の頂上まで登ったのだが、お供え物がたくさん置いてあって、そこが地域にとって大切な神社だとわかった。大きなボンタンやワンカップの日本酒などが供えられていたので、その話を家族にしていたら、父が「窃盗は良くないが、昔からお供え物って言うのは貧しくて食うのに困っている人のためにもあるんだろうな。その意味もあって、考えて供えているんじゃないか?」と言った。

 

このコロナによる不況は、いろいろな人を苦しめていると思うが、祠のお供え物を見たときに、私も何か供えた方がいいのではと考えたことを思い出した。

 

世の中に救済制度が整っていないのであれば、誰かが何かをしなくては助からない命がある。

 

ふと、寝たきりではあったが病院の日当たりが良い部屋で息を引き取った祖母の人生について考えてしまった。苦しくても、暖かい部屋で天寿を全うできたことは幸せだったのだろうし、そう願いたい。