kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

10年という歳月の中で

東日本大震災による原発事故を経験し、私はそれまで社会や報道に対して何の疑問も抱かず楽観的だったのが、一変した。

 


今は水道水も飲み、魚介類を食べる事もあるが、原発事故の後は食べるものに対しても非常に神経質だった。

 


2011年の3月18日には住んでいた東京を離れて岡山にいたが、身を寄せた親戚の話によると、もう東電の幹部は関東から岡山に避難してきていたとの話だ。あの時は、自主避難する人はものすごく白い目で見られた。

 


放射能の影響はないと報道されているから何の害もないのだ、と信じたがる人は多かったが、報道の内容を信じないで避難する人は放射脳と呼ばれて、村八分に遭った。

 


今も、福島から他県に避難した人達に対する差別がある。避難してきた人達は病院に来ても受付の順番を守らない、など、あるとしてもごく一部の人に対するイメージが福島からの避難者全員に当てはまるかのような言い方をする人も身近にいて、偏見があると思う。

 


あれ以来、世の中は変わったと感じる。格差も非常に広がり、人々は他者に対して冷たくなった。

 


みんな余裕があれば、もう少し違う考え方をするかもしれない。

 


もっと社会に余裕があった時は、電車の中などで具合が悪くなった人がいても助けようとする人達がいたが、最近ではみんな具合が悪くなった人を見ても敢えて知らん顔をしている。

 


ブラジルのリオデジャネイロオリンピックの後、ブラジルは財政破綻してしまい、オペラハウスの職員やダンサーに給料が出なくなったというドキュメンタリーをこの間観た。直接、オリンピックが原因で財政破綻したとはそのドキュメンタリーの中では言及していなかったが、2017年には国民は疲弊し、若い人には麻薬の売買しか仕事がない様子が映し出されていた。

 


去年から延期されてきた東京オリンピックは、海外メディアから、福島を忘れるためのオリンピックとも揶揄されてきている。

 


未だに復興五輪と銘打っているが、仮設住宅からオリンピックの応援をしろと言わんばかりである。

 


人々は福島の原発事故を終わったと考えている訳ではないと思う。世論調査では原発は維持すべきではないと言う人のパーセンテージが上がっている。

 


だが、あまりにも大きな問題、真実を目にすると、脳が思考を止めてしまうのか、問題を解決しようとするよりは美味しい食べ物や可愛いペットの写真などに夢中になる人が多い。

 


問題が大きすぎて、思考を停止してしまうのである。

 


言いづらい事ではあるが、最近では環境問題に取り組む事を新たなビジネスにしている企業や、メディアの報道が目立つようにも思う。

 


本当に環境問題、原発の問題に真剣に取り組むなら、資本主義のシステムや人の思想の根本的な問題にも言及し、社会そのものを底から覆すような取り組みが必要になってくるので、それは避けて、あくまでも偽札作りのようなお金儲けを考えて動いているのである。

 


原発の問題はやはり企業のお金儲けのシステムに利用されたエネルギーの売買の問題である。

 


私たちは自家発電をするには国からの金銭的援助を受けられず、未だにエネルギーは企業から買うというシステムに慣れきって生活している。

 


太陽光発電などに対する問題点は確かにあるが、原発のそれとは比較される事もなく取り沙汰され、なんとなく意識するエコエネルギーに対する拒否感というものが社会に蔓延している。

 


もっと質素で慎ましい暮らし方を目指していくのは、今の社会にとっては難しいのかもしれないが、福島の原発事故は、人にとってお金が全てではないと強く教えてくれる出来事である。

 


実際に見聞きした出来事に対して感じた事を判断する能力が落ちているように自分でも思う。テレビのニュースやネットの配信記事という形になっていなければ、情報として捉える事ができないのだ。

 


少なくとも、10年前の危機感というものは、自分の肌で感じた恐怖であった訳だが、周りの人に合わせて社会で生活するために、そういう感覚を麻痺させなくてはならなかったこの10年は、私にとって色々考えさせられる歳月でもあった。