kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

人間の条件

【他人を信頼できる人、できない人】

最近、「人間の条件」という映画を観ました。戦時中、徴兵を免除してもらう条件で中国人労働者を管理する職についた主人公は、中国人労働者に対する日本人の非人道的な態度に徹底的に抗い、中国人労働者への待遇を良くすれば脱走したり怠けたりする者はいなくなると職場に進言します。

「高い金を払ってでもヒューマニズムの専用車に乗ろうとする」彼を憎む者、信頼する者。

主人公の梶に言える特徴は、自分達日本人が搾取している中国人を、日本人の同僚よりも信頼している事です。

愚痴になってしまいますが、私が今度働く職場で、派遣アルバイトの同僚をまとめるリーダー役をやっている女性が、周りに対して厳しくしなければすぐに怠けると考えて、誰のことも信頼していない事が、この映画の梶の同僚や憲兵と似ているなと感じました。

まあもしかしたら派遣のふりをしたクライアント側のスパイで、働きの悪い派遣を見つけ出して切る為に雇われている可能性もあるのですが、人を信頼し、信頼されるという事が尊くない人も社会には沢山いるのでしょう。

戦争というものは、他人に対する不信感を煽る現象であり、生きる為には他者を欺いて殺さなくてはならないと国民に信じ込ませる壮大なプロパガンダでもあります。

人を信頼できない人は、根本的に自分に対して自己肯定感がなく、自信があり自分は正しいと自分自身に言い聞かせ、信じ込ませようと常に葛藤している小心者でもあります。

これが人を信頼するメリットをよく知っていて暖かい人柄の人間であれば、自分自身をよく観察しようとし、常に人は間違うものだという前提で、映画の梶のように働く人々を信頼しようとするものだと思います。

人を疑い、監視するという行為は常に自分の内側から湧き上がる不安感と闘う行為です。

また、心無い噂を流して人を陥れる事や、根掘り葉掘り人の情報を聴き出すのもまた、人間には他人を幸せにするよりも不幸にすることの方が容易くて楽しいという人もいるのだと感じさせてくれます。それが結果的にその人を不幸にするとしても、一瞬の蜜の味は中毒性があるのですね。

多くの人は、真実に向き合う事が苦手です。ことに、自分の真実に向き合うのは勇気が要ります。

逃亡を企てた中国人を憲兵が処刑すると決定し、手を尽くしたものの自分の力は到底及ばず何もできないと思った梶は、電流の走る鉄条網の内側に閉じ込められている中国人の一人に相談しに行き、相手から梶が中途半端にやってきたヒューマニズムが本当のものになるか、それとも結局他の心無い日本人達がやってきたことと同じになるかの岐路に立たされている事を厳しく指摘され、うなだれます。

人間が、人間らしくあり続けるためには大きな勇気と、犠牲が必要なのだと痛感させられる映画でした。

川崎殺傷事件の犯人も、元々はごく普通の人間として産まれ、社会に恨みを抱く境遇でさえなければ人を信頼し、信頼されるという心の安定を手にしていたのかもしれません。

そしてこの映画はごく普通の人間が時代を理由として自らを欺き、何の悪気もなしに多くの人々を苦しめる悪魔へと変貌していく様子をリアルに描いています。

この映画のタイトルである「人間の条件」という言葉は、私達一人一人の人間性と勇敢さを問う試金石のような重みを持って、映画を見終わった人や様々なニュースを見る人に自分自身について考えるきっかけを与えてくれるように思います。