kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

韓国旅行で得た視点

洗濯物干しが洗濯籠に入っているのを見ただけで、ちょっといつもと違う光景を見たような気になった。それがなんて事ない光景のはずなのに、ちょっと気持ちを明るくしてくれるような、そんな気になった。

ある都内の美術館で、画鋲に輪ゴムをいくつか引っ掛けたもののデッサンを見た時にも似たような感覚を覚えた。それを描いた作者の着眼点が冴えている。何の変哲もないものに美を見いだすのは、簡単な事ではない。

先日まで、私は韓国にいた。あまり体調も良くなくて出歩きもしないのに、放浪癖だけは身に染み付いている。時々、無性に日本を抜け出したくなるので、安く行けて友達もいる韓国は2年ほど前からちょくちょく行くのだが、両親は私が海外で具合悪くなる事を心配してあまり良い顔をしなかった。

疾病があっても唯一入れる海外旅行保険に入り、医者に相談して両親を納得させたのだが、行く前は薬を飲む量を増やしたりして興奮しすぎないように調整していた。

いつもソウルでは快く泊めてくれる友人がいるのだが、彼女はLGBTの当事者ということもあって、ヘイトスピーチジェンダーの問題に深い関心がある。

彼女と夜な夜な食事をしながら話していると、時間が経つ事も忘れてしまうほど二人とも話に熱中する。

日本によく行く人なので、今回も彼女は私が滞在している間に日本旅行に行ってきた。日韓関係は最悪であるかのように報道されているが、韓国に来てみれば韓国人はほとんどの人が日本人を憎んだりしていないし、むしろフレンドリーで親切に受け入れてくれて、彼らも日本の文化を愛しているから、よく日本と韓国の文化の違いについて話ができる。

果たして日本で報道される韓国のイメージは、実在する国のものなのかとも思うが、日本のメディアは韓国を叩くこと、日本人が韓国を憎むように仕向ける事に必死である。

韓国の良さを知っている日本人は韓国旅行の蜜の味をしめているし、ソウルの街中でも日本人観光客の姿をよく見かける。今の日本の10代向けの雑誌には、韓国のメイクやファッションをお手本にした特集が組まれているらしい。

韓国の大学で働く友人の一人は、忙しい合間をぬって私と会う時間を作ってくれ、喫茶店で飲み物を片手に社会の事やそれぞれの事を色々話した。

世界の不穏な情勢を憂慮する彼は、なかなか人々が問題を問題と思わない事に果敢に挑戦してきたが、最近ではもう過酷な将来が来る事を覚悟して、死から全てが始まる事を考えて生きる事も大切だと思うと私に言った。

世の中はもう取り返しのつかない事態に直面していて、人々もそれを解決しようとする方向には動きたがらないのだと私も思うが、ちょっと見方の変わる話を聞けたように思う。

また別の時には、彼自身が虐げられた経験を文章にしたものを、私にくれた。私は病気の症状で幻覚が出てきて、大きな組織の陰謀に巻き込まれて殺されようとしているというような妄想に囚われてしまうのだが、彼の場合は実際に彼の身に起きた事であるので、それが世の中で問題視もされていない事が問題である。

彼は19年政治犯として獄中に捕らえられていた男性を私に紹介してくれ、私はお茶目でユニークな彼の携帯電話に名刺のデータを入れる手伝いなどを別の日にしていた。携帯電話を水に浸して壊してしまったと言う彼は、手製の料理を私に振る舞ってくれた。

私は韓国にいる間、薬を増やして飲んでいた事もあって、あまり体調が優れず怠くて寝ている日も多かったのだが、食べるものも聴こえてくる言葉も違う場所にいるのは心地よい刺激になった。

いつも思うが、韓国は日本に比べて自由な雰囲気がある。日本人が日本社会では自由ではないのと同じように、韓国人は韓国社会の中では自由ではないのかもしれないが、スーパーなどでもレジを打つ人が座って仕事をしていたりする辺りは日本とは違う。

何の変哲もない光景が面白く見えたのは、韓国から帰ってきて、また日本での生活に戻ってからだ。

いつも旅の後というものは視点が変わるものだが、生活の味と言うものは旅の後は美味に感じられる。

そんな小さな視点や味覚の変化でも、思考にもたらす影響は大きく、私の放浪癖は治りそうもないのである。

昔は旅に出る事に全く興味が無かったが、行った後に視点が変わるのは面白いな、と思い始めたあたりから、国境を越えた気がする。