kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

Facebook

私もFacebookを始めてから何年も経つんですが、使う目的はテレビや新聞では報道されないニュースを知るため。

色々な方と知り合えた利点がある一方で、人間関係のトラブルやある傾向も目にします。

あっちでも、こっちでも、意見を闘わせている投稿を目にする。

色々な意見があって人それぞれ意見が違うのは当たり前なんだけど、みんなそれぞれ論破する事に夢中になっていて、うーむと思ってしまいます。

FBやっていると特におじさんからお説教される事やセクハラが多くてこちらもうーむとなるんだけど、数年前までネットで頑張っていた人たちが消えた理由がなんとなくわかる。

同じ事の繰り返しで疲れてしまったんだよね。

気軽に意見が言える利点もあるって言うことは、それだけ勘違いされたり、思うこととは別の意味にとられてしまったり、はたまた自分のエゴを通そうとしてしまう原因になったりする可能性も高いと言うことで。

今は世界中どこの国でもスマホを使ってSNSを楽しむ時代ですが、真剣にSNSを使って世の中に沢山ある問題を解決しようと考えている人にとって悩ましいのは、同じ方向を向いて頑張っているであろう仲間同士で脚の引っ張り合いになるって言うことかなと思います。

私自身も、かなりの数の元仲間とトラブルになってブロックしています。(ほとんど男性です)

日本だと特に、女性に対する人権意識が低いからなんでしょうか。セクハラやマンスプレイニング(女性に対して男性がお説教したり、諭したりするような上下関係を押し付けるハラスメントの一種)が割と当たり前のようにあります。

それを、「気にしないで無視する事」が得策であるかのように日本の社会は推奨していますが、果たしてそれって問題の解決に繋がるんでしょうか(~_~;)

私は、ならないと思います。

むしろこのネット上でのハラスメントの多さが、日本の社会が女性に対して性的役割を押し付けている事の表れなんじゃないかと思います。

セクハラはダメだと言いながらセクハラをする矛盾も多く見かけます。

一度人格が形成された人間に変化を望むのは難しい話かもしれませんが、もうちょっとこのネットハラスメントの実態にメスを入れるような統計とかが取れないものでしょうかね?

もちろん女性から男性に対するハラスメントも少なからずあると思いますが、日常的に異性からの目に晒されてなんらかの干渉を受けるSNSって、人間関係のあり方を問い直しているように思います。