kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

電車の中にちんまりと座っていると、周りの風景が砂時計の瓶のように広がって見える。

私はさしずめ落ちていく砂の一粒みたいに、自分が小さく思える。

住宅街の中で突然、何かわからない花の香りを嗅いだときも似たような感覚を覚えた。

私は大きな通りを歩いたり、誰もいない公園を歩くのも自分が小さくなった気がして好きだ。

何かに紛れて自分の姿が見えなくなるような、誰にも見つからずにどこまでも歩いていけるような、そういう感覚はかくれんぼしているような気持ちに近い。

それでも、かくれんぼしていて誰にも見つからずに友達がみんな帰ってしまって寂しくて泣いたこともあるけれど。

暑くなっても寒くなっても人は面倒くさい人の社会、ジャングルの中でそれぞれが寂しく生きている。

家族がいても孤独な事もある。

でも不思議と、自分が砂つぶの砂になったくらい小さく感じられる時は、何かに守られている気持ちにもなる。

社会とはまた違う、自分が身に纏っている周りの空気が抱擁してくれているんだろうか。