kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

考えの違い

ニュースを見ていても、新聞を読んでいても、ネットのニュースを見ていても、私と私の家族の考えの違いというものを強く感じる時がある。

私は放射能は身体に影響があると思うし、母も福島産の野菜や果物を買うのは躊躇うのだが、姉はそんなもの気にする方が具合が悪くなるし、おかしいと言い切る。

例えば食べ物にヒ素が混ざっていた場合も青酸カリが混ざっていた場合もみんな食べるのを嫌がるし(食べたら大変なのだが)それでも水俣病ヒ素ミルク事件の際には訴訟を起こしても身体には害がないと国や御用医者が言い切って、また被害者は謂れのない事で一般人からも批判された。

それと原発事故後の被災者の苦悩はまるで変わっていないと思うが、姉は気にする方がおかしいと言いながら、特に若い人に健康被害が出る事は認める。

なんだかよくわからない理屈だが、要するに真剣に問題を考えるのが面倒くさいのだろうか。

韓国が日本の旧海軍の旗を嫌った時は、両親と意見が食い違った。

私はわざわざ侵略した国が海外から反感を買うような旗を掲げるなんてちゃんちゃらおかしい、と言ったが、両親は韓国は日本に対して反感を煽るような事ばかりして失礼な国だと言う。慰安婦問題の少女像にしても同じく。

ただ単に意見が違うだけで険悪な雰囲気になってしまうのは変なことだが、家族の中で私だけ孤立して違う意見を言い続けるのも結構大変で、仕方なくそういう話題が出た際には私は意見を言わない事もある。

そういう時に悶々と、「この人達はなんでこんな考え方をしているんだろう」と黙って考えているのだが、日本人ってプライドが高い民族だな、とも思う。

意見が違う、イコール否定されたと考えてしまう人が、自分を含めて多いのだと思う。

延々と平行線上の議論をしながら、特に喧嘩している感覚は感じなかった海外での経験はどこに行ったのだろうか。

何が疑問って、私自身が凄く変だと思う。