kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

漂流記その9

前のブログから引き続き、漂流記です。↓



漂流記 第三章 真実の追求、そのための勇気

アリバーカーキ・トリビューンというメディアのある女性記者が、アメリカで故意に行われた、市民に対するプルトニウムの投与実験について独自に取材し、「プルトニウム・ファイル」という本を書いた。

私はこの本の内容を全て読んだ訳でもなく、このジャーナリストの彼女に対するインタビュー動画も英語力がないため、少ししか観ていない立場でこれを引用するのは憚られるものだが、この章のタイトルにあるように真実の追求のためにはある程度の勇気が必要で、それはどのようにして産まれるものかを論じたくてこの話を文頭に置いた事にご了承を戴きたい。

私は福島第一原発事故の影響を受けて心臓にトラブルを抱える一人の日本人として、このプルトニウム・ファイルの書かれた経緯に興味を抱いた。

インタビュー動画を観たある日本の反原発の活動家は彼女をこう評した。

「こんな大人しそうで淡々と話す女性が、こんな大きな巨悪に対して一人で立ち向かえたのは、寧ろ彼女が本当に子供のように純粋で、素朴な疑問に対して目を逸らさない人間であったからこそできた事なのかもしれません」

先にも書いたように、私は勇気ある人間ではなく、極めて内気で臆病な人間である故に、人の事を誤解する事も多いし、誤解される事も多いし、その割にははっきりと嫌な事には嫌だと言ってしまうので、非常に短気で難しい人間だと捉えられる事も多い。

自分の事がよくわからないのはみんな同じであるけれども、私はこういう人間ですと先に説明してしまう事ほど手っ取り早く自身を肯定する手段もある意味他にないだろう。

けれども、自身の問題を人が誰かに語る時には、誤解を恐れずに正直に打ち明けてしまう事も大切だ。

何故か、私は割と自分よりも年配の人から個人的な問題について相談される事が子供の頃から多いのだが、ある程度の話やすさというものは自覚無く持っているのかもしれない。ある時にはそれは私の親から託される家庭内の問題を解決するためのバロメーター的な役割を求められたり、ある時は私の小学校での友人が他の子から虐められている時に担任の教師から託される彼女の支えとしての役割だったり、色々あるのだが、私自身が荒んでいる時に支えになってくれるのはいつも私の母親であるから、私と私の母親というものは喧嘩を繰り返しながらも似た者同士として血を分け合った仲である。

それが母娘としての信頼関係というよりも、どちらかというと過酷な私と父の闘病生活の中でお互いに築き上げた阿吽の呼吸や友達のような気さくな話し合いによって出来た信頼関係に近いのは、我ながら興味深いものがある。

自分に似ているというか、自分のルーツとなる人物を観察する事で、自分自身を少し理解できたような気になるものだが、私の母親は純粋が故に情に厚く、怖いもの知らずである。

私は友達もいない青春時代を送っていた為に、とにかくコミュニケーションが取れる動物を飼いたいと思って雌のモルモットを一頭飼っていた事があるのだが、最初はこのモルモットを飼うことに賛成していなかった母が、誰よりもこのモルモットを甘やかしてモルモットからも好かれたのは、母の情に厚い性格故だろう。

勇気というものはむしろこういうものかもしれない。

言ってみればモルモットが欲しがるだけ野菜を食べさせたり珍しい果物を与えたりして可愛がるのは飼う人間の側の自己満足でもあるから、モルモットは太りすぎて獣医からダイエットを課せられた結果、可哀想な事に好きなものを好きなだけ食べられない環境に参ってあっという間にこの世を去ってしまった。今考えてみても、常に人間に合わせて気を遣って生きていた彼女の為にああしてやれば良かったかもしれないと悔やむのだが、当の彼女は空の星であるから、この想いが少しでも遠くにいる彼女に届くなら私達も少しは気持ちが報われる。

しかしながら信じるという行為はいつ来るかもわからないの人をひたすら待ち続けるのと同じで、永遠に続くかのように思われる忍耐と想像力の維持の連続だ。