kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

人生の背景と音、音楽


近くのスーパーから帰る道で、キジバトの鳴き声を聴いた。田舎ならではだが、デーデーポッポ、デーデーポッポと単調に鳴く声は、なんとなく哀愁が漂う。

 


家に帰ると腹痛が襲ってきて、仕方なく部屋で寝ていたら、今度は子供が外でかくれんぼをしている声が聴こえる。もういーかい、まーだだよ、というかけ合いが、私が子供の頃と今も全く変わらないのが印象深い。

 


小さな事かもしれないが、聞き慣れている生活の音や背景の音というのは、変わっているようで変わらないものの存在を教えてくれ、自分が聴きたいと思う時に聴こえるわけではないが故に、不意に安心させてくれるものである。

 


音楽はまた違う性質がある。自分が聴きたいと思う旋律を自ら聴こうとする、聴きに行くという意味で、私たちは好きな音楽に対して積極的である。

 


昔、コンテンポラリーダンスを創作していた。音楽も編集できる人に頼んでオリジナル音源を作るのだが、私は音楽と生活音(足音や機械音、車の音など)が組み合わさっていた方が面白い音源になるような気がして、わざわざタワーレコードで雑音素材を集めたCDを買ってきたりして、それらの生活音と音楽を組み合わせていた。

 


その素材のCDの中に、フランスのエレベーター音だけ集めたものがあった。エレベーターマニアの製作者が、パリのあちこちのエレベーターの音を録音してまわり、一つの音楽としてアルバムに納めた、ユニークなものだった。

 


私はそのCDの中に入っていた、モンマルトルのある駅、Lamarck-Caulaincourt駅のエレベーター音が気に入って、ダンスの音源に取り入れた。その頃は海外に行った事もなかったので、そこの駅がどういう作りになっているかも知らなかった。ピーピーピーピーと警告音が続いた後に扉が閉まる音がし、フランス語で出発を表すアナウンスが流れる。グゥーンとエレベーターが上がる機械音がした後、また止まる。

 


その後、フランスに行った。地元の人と仲良くなり、絵や写真をやっているアーティストの知人と、モンマルトルにアトリエがあるので行ってみた。

 


最寄り駅はLamarck – Caulaincourt駅だった。そこに行ってみて初めて知ったが、そこはモンマルトルの丘の中腹にトンネルを掘って作られた駅で、メトロのホームと駅の改札階の間にかなりの距離があったので、大きなエレベーターがあったのだ。それに乗って初めて、あのCDに収録されていたエレベーターの場所がそこだったのだと知った。

 


それは不思議な体験だったが、時々私は生活の中で聴こえる音と、音楽との性質の違いについて考える。

 


日常的に音楽を聴いている人もいるだろうし、楽器を嗜む人は毎日繰り返し音楽について考え、弾くだろうが、旋律とも違う生活音や背景音には、懐かしさを感じる何かがある。

 


一人で耳を澄ませている時に、不意に聴こえる音が、殺伐とした世の中にも変わらない音があるのだと安心させてくれるのだ。