kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

強さとは何か

私は中学生の頃、強迫神経症(今考えると統合失調症の気があって発症し始めたのがその時期だったんだろうと思うが)で心身ともにバランスを崩して、学校に行けなくなってしまいましたが、病気になる前までは学校を休んだ事はないし、クラスメイトに蹴られたり机を倒されたりといった虐めを小学生の頃は受けましたが、それでもストレス性の腹痛に悩まされながら通学し続けていて、今から考えると嫌な性格をしていました。

お腹が痛いと言って学校を休むクラスメイトがいれば、本気でそのクラスメイトは怠け者で弱いと考えていた。

自分がお腹痛くても学校に来て勉強しているんだから、その子も痛さを我慢して学校に来るべきだと思っていたし、なんだか小さな視野しか持っていなかった気がします。

中学生の頃に本当に具合が悪くなって学校に行けなくなってからすぐは、何もできない自分にショックを受けて、すぐに学校に復帰して遅れた勉強を取り戻さなくては私はダメな人間になると思っていたが、1カ月経っても半年経っても具合は良くならず、それどころかそれから10年近くの間、成人するまで鬱状態が酷くなって治らなかった。

今では誰でも具合が悪くなる可能性はあるし、病気で働けない人やどうしてもやる気の出ない人に対しては生活保護や障がい年金などの制度がなくては困るし、当たり前の事だと思うけれど、病気になる前の感覚のまま何事もなく大人になっていたとしたら、弱者を切り捨てる発想をしていたかもしれないと思う。

世の中が冷たいとか言うのは簡単だけど、私があの時病気になっていなかったら今と同じ事を言っていただろうか、と「冷たい世の中」を観ながら考える。

強さって、競争に勝つ事でもなければ、困難にめげずに学校や会社に行き続ける事でもない。

強さって、思いやりと助け合う心と、親切心を行動に移す勇気の事を指すと今は思うけれど、あの頃の頑なな私にそれを言っても理解できなかっただろうなと思う。

言っても理解できる人は少ないから、自分が行動することが大切なんだろう。