kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

不自由を望む願望の作り方

 

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佳子さん 「マスクというのは自分のために使うものではなくて、相手にたいする思いやりですよ」

 


純子さん 「本当に申し訳ない話ですが、私をあなたの精神病に巻き込まないで」

 

 

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娘  「お父さん。なんで人々が自分の自由を「安全のため」放棄するの?」

 

お父さん 「ヘーゲルの変証法にはこうある、まず問題を作り上げて大衆がそれに反応する時、仮に十分な恐怖と集団狂気が誘導できたら、大衆が自分たちの自由を奪う解決策を喜んで受け入れるんだよ」

 

 

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コロナ禍の前から、日本や韓国、中国では冬場に多くの人がマスクをするのが当たり前の光景だったが、大気汚染やインフルエンザの感染を防ぐために神経質な人がマスクをかけている印象があった。

 

原発事故の後に、子供を外で遊ばせないようにしたり、野菜や水を厳選する人は非難された。

 

農薬や添加物に関しても、菜食主義者に対しても、「気にしすぎだ」という考えの方が根強い。

 

上に載せた二つの漫画は、恐怖が支配する時代においての自由の概念を巧みに表現している。

 

例えば添加物が身体に与える影響を心配して、家族に加工食品を食べさせない人は、周りの人が加工食品を食べる自由を侵害しているともいえるが、実は日本では食品添加物の規制基準が緩くて、発癌性がある添加物でもどんどん使われて、食品が流通しているという事は、知られているようで知られていない。

 

食品の安全性を測り、流通させる際の枠組み作りに注意を払わなければそうなるのだが、あくまでも危険な食品が当たり前のように出回っているのが社会のベースにあるという感覚なのだろう。

 

その場合、家族が本心は食べたいと願っている加工食品を食べさせない人は自由を侵害する悪人という事になるが、食品添加物を許容する大元の基準は問われない。

 

家族の身体の心配をして、あれを食べるな、これを食べるなと言う人の気持ちは、コロナ禍だから友達と会うな、ワクチン接種を受けろ、あるいは受けるなという人の心理と何も変わらないが、脅威というものは権力者にとって、利用してなんぼのものという感覚があるのだろうか。

 

社会には治安や秩序を守るためにルールがあるのは当たり前の話だが、戦争中には戦争に反対する者は処罰されるのが当たり前だった。

 

有事でない時に必ずしも世の幸せの為に社会が作られてきた訳でもなく、集団に意見し、腐敗を暴く者は年齢を問わず排除してきたのは、「平和」な時代も一緒だったのである。

 

本当に常識的な人間であれば、人は皆違う事を前提として物を考え、人と接する事ができるが、それができない人が逆に「常識的な人間」として考えられているのである。

 

エボラ出血熱のウィルスは、日本に持ち込まれていて、オリンピックの際に何かあった時の治療の研究のために役立てるというニュースは小さくしか報道されていない。

 

これだけ災害が多く、ウィルスの管理方法がよく明かされていないにも関わらず、大きく報道されないので問題ない事になっている。これが人々の共有している、重大なウィルスの脅威に対する認識なのだろうか。

 

放射線に対しても、エボラウィルスに対しても、農薬の害に関しても、沖縄の基地問題に関しても、知っていても自分の問題だと認識するに至るまでの過程は、非常に長い道のりである。

 

マスクをつけているかいないか、ワクチンを接種したかしていないか、コロナに感染したかしていないかが何故、これだけスムーズに多くの人々に多大な関心と問題意識を起こさせるかは、不思議な現象である。

 

マスコミはある問題を取り上げて報道する際に何を利益にしているのか、誰が何を発言する事でどんな利益を得ているかは、そこに注目する人しか考えが及ばないし、大衆にとってはどうでも良い事なのかもしれない。

 

コロナに効く特効薬がない事にされていて、ワクチン接種だけ推奨されているのも、なんだかおかしな話なのだが、TwitterFacebookではワクチン接種による被害の報告は削除されてきている。

 

ペルーやインドで成果を上げたとされるイベルメクチンに関しても、勝手に服用した際には害があるという報道が目立ち、コロナ治療薬としての承認も「承認されているのに、されていない」という事になっているのだ。

 

コロナだけを語らざるを得ないのに、自由に発言はできない。社会の枠組みとしてのファシズムは用意されていた訳だが、不自由な状況を自発的に人々が望むようにしてファシズムを根付かせる為には、ほんの少しの力で崖の上の岩を押すだけで良かったというようなものでもある。

 

後出しジャンケンのように「新事実が判明した!」と報道し、子供にも感染が広まっていると言いながらパラリンピックに子供を動員する大人達は、お金儲け中毒なのだと私は思っている。