kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

人と人との関わりの神秘

f:id:yonyonchang:20210410182734j:image


昔から、人の目を異様に気にする事があるかと思うと、突然周りから何を思われようと奇異な行動をしてしまう事の繰り返しをしている。

 


人の活動は他人から観たら、気になるものなのだろうが、地元で顔を知られると生活するのが面倒なので、近所の人との交流や地元の友達との付き合いというものはほぼ持たない。

 


じゃあどこで誰に会うかというと、東京に出向いたり、旅先で友達に会ったりする。

 


東京のデモに参加していた時は泊めてくれる友達もいたし、昔ダンスの映像を撮っていた友達も東京に住んでいるので、前までは東京に出向いて時々一緒にお茶を飲んでいた。

 


人と人とが関わると、面倒な事も起こるが、気心が知れた相手なら話していて楽しい。

 


けれども、この楽しいという感情はどこから湧いてくるのだろうか。

 


とにかく引っ込み思案な性格が強かった子供の頃は、独りで虫ばかり観て過ごした。今も虫が好きだが、道端で蟻の巣などを観ていると、みんな変な人がいるなという顔をして私を観ている。

 


子供達がこの人何を観てるんだろうと不思議そうにやってきて、私の覗き込んでいる蟻の巣を一緒に覗きに来た事もある。

 


変な大人は奇異なのである。

 


変な人として扱われるのはいつもの事なので慣れているのだが、警察に職務質問などされても面倒なので、道端で蟻を観るのは諦めた。

 


コロナ禍でどこにも行けないと、地元で用を済ませるしかないので、今まであまり散策してこなかった近所をふらふら散歩するようになった。

 


今は気軽に東京に行って友達に会えないのは残念だが、仕方がない。

 


花が咲く季節なので、桜やチューリップや花水木の花を観ながら歩いていると、長いこと出歩かなくて弱っていた足腰の筋肉が鍛えられる気がして、気分がいい。

 


最近はもっぱら電話やメールなどで人と連絡を取っているが、友達とのやり取りの中にも花の写真などが沢山出てくる。みんな暖かいメッセージを送ってきてくれるので、そういう時に生きていて良かったのかなあと感じるのだ。

 


男はつらいよシリーズの映画で、主人公寅次郎の甥っ子が、寅次郎こと叔父の寅さんに「人間って、なんのために生きているの?」と辛辣な質問をすると、一瞬寅さんは考えて、「ほら、あれじゃない?たまに、生きていて良かったなぁ〜と思う瞬間があるだろ?そのために生きているんだよ。」単純なような意見だが、非常に納得がいくシーンだった。

 


気持ちが暖かくなる写真と文章を友達と共有していて、ふと昔、一人暮らしをしていた時に友達が遊びに来た事を思い出した。

 


朝、友達の一人から小包が届いた。私の誕生日プレゼントを、送ってきてくれたのだ。私の誕生日はちょっと前だったが、ありがたくクッキーとコーヒーを受け取って、彼女にメールでお礼を言った。

 


人と人との関わりの神秘は、ただ親切心のやり取りだけが大切なのではなく、相手が存在する事に感謝する気持ちが尊いのかもしれない。

 


未だに私は人間関係が難しくて大人になりきれないのだが、存在に感謝する対象を拡げていけたらなあと常々思うのである。