kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

人件費

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花水木が咲く中、駅近くの薬局まで、処方された薬を買いに行った。

 

暖かい日差しとは裏腹に風が冷たい中、てくてくと歩いて薬局まで行くと、中には会計をしている年配の女性と、薬剤師の女性数人がいた。

 

レジの前で、年配のお客さんの女性が金額に驚いて怒り始めた。2万円以上の金額になると言われたらしかった。

 

前はそんなに高くなかった筈だと言う女性と、すみませんと言いつつもあまり真剣に考えていないらしい薬剤師の女性と、押し問答が始まった。

 

もしかしたら保険適用から外された花粉症の薬の話なのだろうかとも思ったが、薬剤師の女性がよく調べてみると、やはり2万円以上という金額は間違いだったらしい。

 

立ち聞きするのも難なのだが、話し声が大きくて聞こえてきてしまうので、居た堪れなくなっていたら、私が会計に呼ばれたので、支払いをするために隣のレジへ行った。

 

私も会計時に金額が高くなっていないかと心配にもなったが、今まで通りの値段だったのでホッとした。

 

薬剤師の人達は、見たことのない若い顔触れが多く、ベテランらしい人達はもういなかった。

 

曜日によってシフトが違うのだから顔触れも違って当たり前だとも思うが、最近、どこに行っても非常勤や派遣らしい人が増えていて、なんだか確認しようとしてもみんなまごついている事が多い。

 

私も派遣の仕事を長くしてきて、体力の関係で単発や短期の仕事ばかり選んでいるので理解できるが、結構危険な仕事であっても、教えてくれるベテランの職員もあまりいない現場が多いし、そこで責任がとか言われても、慣れていない人にはその職場の中の事なんてまるでわからないので、まごつくだけになってしまうのだ。

 

自分でも単発や短期の仕事ばかり選んできているので、大きな事は言えないが、人件費を切り詰めていくうちにサービスの質も低下し、重大なミスや事故が起きるというのは容易に想像できる。

 

身内が10年の間、ある職場で働いてきたが、ある時、彼女がやっていた仕事そのものがなくなると職場に言われ、実際にはその仕事はなくなりようがないのに雇い止めになった事がある。

 

私もそこを使う事があるのだが、前は夜8時には残業を切り上げて帰っていたところが、夜の11時になっても明かりがついていてみんな残業させられていて、しかも仕事のミスが増えてきている。仕事に慣れていた職員をみんなクビにして、職場が廻らなくなってしまったらしい。

 

ベテランの職員がクビになった穴埋めの仕事をしてきた私と、その雇い止めになった身内の者、どちらも安泰な職が得られなかったのは一緒なのだが、日本全体がこうして沈没していくのかな、と思ってしまった。

 

ウーバーイーツなどのギグワークをする人も増えたが、そのギグワークによる事故も増えているのだろう。東京に行くと、車と接触しそうになりながら、ウーバーイーツの自転車が道路を走っている。

 

今はみんな働くために危険な想いをしてるよ、それができてこそ社会人だよと言われるのだが、それはなんだか現代の爆弾三勇士のようである。

 

怪我をしても労災として認められなかったり、病気になったり子供ができたりしたら雇い止めに遭ったり、生きる事は呪いのような性質を持っている事物である。

 

このままでいい筈がないとみんな思っているけれど、声を上げる事が憚られる気がしてしまう人が多いのは、なんとも悲劇だと思う。

 

強い者に抗う力よりは、声を上げる一人の市民に対する批難の力の方が強い。

 

悲しい気持ちになるが、確実に季節が移ろうのは、私にとって一縷の慰めであるし、花水木の花が咲き誇る道を歩くと、また頑張ろうという気持ちにもなれた。

 

人間は植物でも動物でも、なんでも意のままに生かしたり殺したりしているつもりだが、彼らが最終的に人間を超越していて、逆に慰めてくれる。それが非常に皮肉で、何とも素晴らしい事だと思う。

 

人が働くのは社会のためとか、自分のためとか、家族のためと思われがちだが、人間のみが生きている訳ではなく、誰もが思いやりを必要としている事は、もっと大切にされても良いとも感じるのだ。