kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

コーヒーの味


数年前に、派遣の仕事で、よくココアの試飲販売をしていた。

 


派遣会社から指示された先のスーパーに行き、そこで一日、試飲販売をする。今はコロナ禍なので試飲の仕事もないようだが、(私は体調を崩して仕事を休んだのだが、それから派遣会社から使えない人材と判断されたのか、ぱったりと仕事の案内メールも途絶えてしまい、今はどういう雇用があるのかもわからないが)あの当時は体力の許す限り色々な所へ出向いて働いていた。

 


一日しか働かないので、日雇いだが、当然産まれて初めて行った先のスーパーの勝手はよくわからない。なので、そこでいつも働いているパートの人などに、担当者はどこにいるのか、どこに行けば資材の入った段ボール箱があるのかなどを質問して仕事を始めるのだが、ある時質問した相手は、どうも外国人労働者だったようだ。

 


彼は私の日本語が全て理解できた訳ではなかったのか、片言の日本語で「ちょっとここで待ってください」と言い、担当者を探しに行ってくれた。

 


自分も慣れない国で働く身の中、親切に私のために動いてくれたのがありがたかった。

 


私がココアの試飲をすると知ると、彼は「後でココアを飲ませて」と言い、休み時間に飲みに来た。日本人だとお客さんのために試飲として提供しているものをスタッフが飲むなんてけしからん、という発想になるかもしれないが、彼の国ではもっと楽に考えてみんなで少し飲ませてもらって楽しんでいるのかもしれない。ココアを一杯飲ませてあげると、笑顔で「ありがとう」と言って、休憩室に行ってしまった。

 


その後、私が休憩室でお昼ご飯を食べていたら、その人はもう帰る時間らしかった。早朝から来て働いていたのだろう。私服に着替えた彼が、急に私に外国のインスタントコーヒーの袋を二つくれた。どうもそれはベトナムのコーヒーらしく、そこで初めて私は彼がベトナム人である事を知った。

 


お礼を言ったら、彼は仲間と一緒に帰って行った。もう会う事はないのだろうが、親切心が非常に印象に残った。

 


家に帰ってからそのベトナムのコーヒーを飲んでみたら、非常に濃い味がして美味しい。今まで飲んだ事がない味だった。

 


日本にも外国からきた労働者が増え、彼らは安い賃金で過酷な労働をこなす。チェーン店のサンドイッチ屋で働いた時も、店を支えていたのはワーキングホリデーで来た韓国人達だった。

 


日本人の日本に対する特権意識のようなものは、外国人差別にも繋がっているが、今の日本の社会を回してくれているのは彼らでもある。

 


安い労働力を企業は求め、日本に移住したいと期待してやってくる外国人のやりがいを搾取するのは、自国の労働者を雇うよりも楽な面があるのだろうか。

 


最近では日給1800円で交通費なしなんていう仕事まで別のギグワーク専門サイトにあったが、今はみんな苦しいのだから仕事があるだけありがたいと思えと言わんばかりである。

 


それだけ安く人を使う事で利益をあげようとしてきた経済とは、人にとって何なのか。

 


お金のためだから我慢するのだとか、お金のためだから仕方ないのだとか、お金のために私達は何を犠牲にして生きているのだろうか。

 


ベトナムから働きに来た男性のくれたベトナムコーヒーの味は、ただ単に濃くて美味しいだけでなく、よく知らない国で厳しい労働をしている彼の暖かい心を思い出させてくれる味だ。

 


それから私は、安くベトナムコーヒーを売っている人をフリマアプリで見つけ、いつもベトナムコーヒーを愛飲している。

 


人から受けた親切の味が、日常に華を添えてくれ、いつも気持ちを和ませてくれるのだ。