kyoukokukenbunshi’s diary

狂国見聞史 生きづらい世の中に対して感じたことを書きます

終戦から75年

先日、髪を切りに行った。美容師の方に、ドラマとか観ますか?といつも聞かれるのだが、その日の朝は眠れなかったので、中国残留孤児をテーマにした昔のドラマ「大地の子」をたまたま観ていたので、その話をした。

 


普段私は、テレビドラマを観ない。

 


美容師の方が「大地の子」の内容を知らないようだったので、旧満州から引き揚げる際に親が亡くなって孤児になり、運良く優しい中国人夫婦に引き取られて中国で育った主人公を描いたドラマですよ、と言ったら、「時期的に戦争をテーマにしたドラマとか映画とか、放映されてますけど、内容が重くないですか?」と訊かれて、「重いですけど、私が興味ある事なんですよね。」と言ったら、ちょっと驚かれたようだった。

 


原爆が落とされた事などについても、今の世界の不穏な雰囲気についても、美容師さんと話をした。話をすれば、彼も全く関心がないわけではなく、ただ戦争などの話題については重いと感じて避けたくなってしまうのだと分かる。

 


けれども、気になったのは、彼だけでなく、戦争について関心がないわけではないけれど、重い内容については避けて通りたくなる人が多いのではないかという事だった。

 


終戦から75周年の今年は、新型コロナウィルスの影響であちこちで終戦記念日のイベントが中止になったとも新聞に書いてあった。

 


それだけの年数が経ち、戦争を実際に知る世代の人達も亡くなる方が増えてきている。時間が経てば経つほど、戦争への危機感も薄くなっていくだろう。

 


私たちの世代の祖父母は、戦火を生き抜いてくれた。だから、今、私たちがここにいるのだ。

 


祖父母の時代に生き抜く事は困難が多く、常に死を意識した生活をしていただろうが、今現在の世界の状況は、また多くの問題がある。

 


地球温暖化の影響で災害が増え、原発の問題や感染症の問題など、多岐に渡る危機が存在している。

 


けれども、重い問題に目を向けて戦うよりも、ネットショッピングや流行りのドリンクを買って飲む事の方に、比較的余裕のある人々の意識は向いていると思うし、必要なものすら買えず、貧困に喘いでいる人々も多くいる。

 


貧富の格差は、教育の内容にも影響が出てくる。

 


それだけ、お金が人間の社会において、強い力を持っているのだから、人間の欲を利用した基盤に乗った資本主義経済は、世界を壊してでも広がっていこうとするのだろう。

 


けれども、その社会が一番荒稼ぎできる方法は、戦争である。

 


破壊し、武器などの需要を意図的に作り出す戦争は、富裕層には魅力的な儲け話に見えるらしいし、実際に戦争が起きる事は止められない、人間の自然な本性だと笑いながら話す人も身近にいたりする。

 


破壊する事は人間の本性だというならば、平和を望む気持ちは人間の何なのだろうか。

 


数年前はよく、東京に行っては反戦の抗議活動に参加していた。私の世代の人達があまり集まらないせいか、私の親くらいの年代の方達は色々と世話を焼いてくれ、話もたくさんした。

 


ある年配の女性は、「人間はね、武器を持つとそれを使いたくなってしまうのよ」と私に教えてくれた。

 


私は、それを聴いて、ゲームや映画の中で平気で暴力を描いたシーンが流され、それを喜んで見る人の事を考えた。

 


暴力シーンまでが娯楽として消費される。

 


やはり人間は破壊や暴力が止められないのかと暗澹たる気持ちにもなるが、「武器を持つと使いたくなってしまうのよ」と教えてくれた女性の笑顔は、戦争を許さない、繰り返させないという強い決意と優しさに満ちていた。

 


私は、抗議活動をしている間に、数は多くはないかもしれないが、大切な友人を得た。

 


彼らと知り合っていなかったら今の私は存在しなかっただろうし、もっと楽しい事ばかりを考えて、問題に目を向けない人間になっていただろうと思う。

 


個人が自由に発言し、平和を語る事も許されなかった、生きることもままならなかった戦争が終わってから75年。

 


今また、軍靴の足音が迫るように近づいてきているが、改憲を謳う政府も支持率を下げ、今必要なことは粘り強く平和を望む人々と気持ちを共有していく事である。

 


人間は戦争する本能があるから避けられないんだ、と笑いながら話す人は、それこそ平和の中に生きている。

 


自由に発言ができるのも、平和があるからこそだ。空襲や爆撃がないからこそ、笑っていられるのである。

 


心ない発言は荒れた環境において増えていくかもしれないが、心ある発言は戦争中においても人々に勇気や希望を与えただろう。

 


どうか世界が問題を直視し、心ある言葉で満たされていく事を願ってやまない。